主の過越祭 次第
<まえがき>
主イエスの「最後の晩餐」は、イスラエルの過越祭の夕食であった。このイスラエルの過越祭の催しの式次第には、イスラエルと世界を救う救世主の到来と、救世主と共に来られる方(洗礼者ヨハネ)の到来が予告されていた。主イエスが「最後の晩餐」で弟子たちに告げた内容は、この過越祭の催しの式次第で予告されている救世主が自分であることや、過越祭の式次第で使われる不思議なパンとぶどう酒の儀式の意味を、弟子たちに解明したのである。
主イエスが来られたことは御国が来たことを意味し、主イエスと共にあることは御国にいることを意味したが、イスラエルはそれを受け入れず、弟子たちとわずかな民のみが主イエスに従った。主イエスに従った者たちはサタン支配の煉獄から救い出され、その恵みに預かったが、世は主イエスを受け入れなかった。それでも主イエスは、自身に対してなされた十字架刑を(実は主イエスを十字架につけたのはサンヘドリンと呼ばれる「エルサレム神殿の切石の部屋に集まる者たち」であった)、何も知らない者たちへの愛によって世が受けるべき報いである罰を延長され、世の救いを延長された。
過越祭は、出エジプトの真の意味は、救世主によって世が煉獄から救い出されることであるという奥義を意味していた。
出エジプトでは、ヤコブ(イスラエル)の子孫たちがエジプトに仕えさせられて400年間の奴隷状態から、「とき」が満ちて主の民の叫びを聞かれた主が、彼らをエジプトから救い出された。主はモーセとアロンを遣わしてエジプトの王ファラオに、主の民をエジプトから去らせるよう告げた。しかし、ファラオは民を去らせようとしなかった。そのため主は、エジプトの地に10の災い(血・蛙・ぶよ・あぶ・疫病・はれ物・雹・いなご・暗闇・初子の死)を臨ませた。9の災いに至ってもファラオは民を去らせなかったので、遂に最後の災いが臨んだ。主の民がエジプトの中にあってその災いを過ぎ越せるよう、主は『過越と除酵の儀礼』を命じられた。その儀礼を守った者だけが災いを過ぎ越すことができたのである。最後の災いで遂に、ファラオは民を去らせ、その日に主の民はエジプトから導き出された。主は、エジプトを出た主の民に、荒れ野で律法を与えられた。そして、災いを過ぎ越して出エジプトした主の御業を記念して、毎年その月その日に「過越祭」を行い、併せて7日間の「除酵祭」を行うことを命じられた。その儀礼の式次第の中で主は、将来、救世主とそれに伴う者との2人が現れて、世をサタンが支配する煉獄から救い出すことを予告されていたのである。その式次第の中で、不思議なパンとぶどう酒の儀礼が含まれていた。その意味については、後述する儀礼の式次第の中で明らかにしているので参照されたい。
世の人は現在、サタン支配下の世界で奴隷状態にある。私たち主の民もまた、かつては奴隷状態にあった。私エリエナイは無実の罪で捕囚されたが、牢の中で主が私に臨んだ。そして、聖書のエステル記に記されている「プリム」の逆転と同じ逆転によって、支配者の欺瞞が主によって暴かれ、私と主の民は救い出された。
私たち主の民は、過越と晩餐を単に儀礼として行うのではなく、自身が主によって救出された実体験を記念して、これを行う。すべての人は、真にそれを望むならば、主によって救われることを、私たちは身をもって、ここに証しする。
いつの世も多くの民が御国を待ち望み、主の来臨を待ち望んできた。
しかし主は生きておられる。ゆえに、主の来臨を待たずして、いま生きて御国に主と共に在ることができる。
世の「終わりの日」は近い。すぐそこまで来ている。世はそれを恐れている。
しかし私たちは、ただ主のみを畏れ、どんな時も主と共に在る。
主と共に在る人は、幸いである。
※ちなみにカトリックのミサの起源は、主イエスの最後の晩餐=過越祭の食事の儀礼に関する誤解から生まれた。「パンを取り、祝福して、裂いて弟子たちに与えた。」(マタイ26.26)という箇所もそうである。最後の晩餐がイスラエルの過越祭の儀礼であることを知らないキリスト教会が、「祝福して」を、主イエスがパンを祝福したと誤解したのである。この誤解からキリスト教では食事の前に食物を祝福するという慣習が生まれた。しかし主イエスが行ったのは神への賛美と感謝であって、人に食物を与えてくださる神(大地からパンを取り出し給うお方)への祝祷であった。この「祝福して」は「神を賛美して」と訳すべき語を、誤訳してしまったのである。キリスト教の習慣の多くが主イエスの行いや教えに基づかない、誤訳や無知から発展している。
主の過越祭 次第
■ろうそくの点火と祝福の祈り
(夕方、一家の主婦が2本のろうそくを点す)
世界の王なる私たちの父、主なる神よ、あなたは賛むべき方です。
その戒めによって我らを聖別し、
祝日のろうそくの火を点すことを私たちに命じ給いました。
世界の王なる私たちの父、主なる神よ、あなたは賛むべき方です。
私たちを生かし、存在せしめ、この時に至らせ給いました。
■過越祭の食事の準備
(1)種入れぬパンを3枚重ねに盛る。
(2)羊の足の肉(焼いたもの)。子羊の犠牲を象徴
(3)ゆで卵。神殿の献げ物を表し、また神殿崩壊の嘆きを表す。
(4)野菜。セロリを用いる。これを塩水または酢に浸して食す。
(5)苦菜。わさびを用いる。
(6)ハロセット=甘い果物のおろし汁に、くるみや干しぶどうを混ぜたもの。
(7)各人に過越祭次第とぶどう酒の杯を用意し、別にイエス様のためのぶどう酒の杯を用意する。
先、過越祭の祈り
1、聖別(第1の杯へのぶどう酒の注ぎと祈り)
主催者の祈り
「世界の王なる私たちの父、主なる神よ。
御子イエスを通して、あなたが私たちに明らかにされた、ダビデの聖なるぶどうの木に感謝します。
あなたの栄光は永遠に続きます。
この過越しは出エジプトを記念する聖会であり、御子イエスによる救いを記念する聖会であり、
私たちがあなたと御子イエスによって救い導き出されたことを記念する聖会、
私たちの解放と自由の時、この祭の日を、あなたは与え給いました。
私たちに聖なる日を歓喜をもって嗣がしめ給いました。
主の民とこの時とを聖別なし給う主なるあなたは賛むべき方です。
私たちの父よ、あなたを賛めたたえます。
私たちを生かし、私たちを存在せしめ、この時に至らせて下さいました。 」
ここで主催者は各人に第1のぶどう酒を注ぎ、各人は第1のぶどう酒の杯を飲む。
この祝福の祈りをもって開始される。
2、手を洗う(この時は手洗いの祝福を唱えない)
3、野菜
全員がセロリ(野菜を代表。その他の野菜でも可)を塩水につけ、次の祝福を唱えて食べる。
「地の産物を創造し給う世界の王なる、わたしたちの父、主なる神よ、
あなたを賛めたたえます。」
4、折半
3つ重ねの種入れぬパンから真ん中の1つをとり、
これを半分に割って大きい方を布にくるんで食事が終わるまで隠しておく。
他の半分は、2つの種入れぬパンの間に戻しておく。この時、第2のぶどう酒の杯が満たされる。
5、物語
主催者は、種入れぬパンを載せた皿をとりあげ、唱える。
「これは私たちの先祖が食べたパンです。すべて飢えている者は、来て食べるがよい。
すべて乏しき者は、来てわたしたちと共に主の過越祭を祝うがよい。
今年は異邦の地にあっても、来たるべき年は主の地にて過越祭を祝うことができるように。
今年は世の奴隷の身となっていても、来たるべき年は解放されて自由の子となるように。」
子は尋ねる。
「今夜はいつもの夜と何が違うのですか?」
主催者、それに応えて言う。
1)「いつもの夜は種入りパンでも種入れぬパンでも食べるのに、
今夜は種入れぬパンだけ食べるところが違います。」
2)「いつもの夜はどんな野菜でも食べるのに、今日は苦菜を食べるところが違います。」
3)「いつもの夜は(野菜を塩水に)1度も浸さないのに、今夜は2度も浸すところが違います。」
4)「いつもの夜は腰掛けるか、寄りかかって食べるのに、今夜は皆寄りかかって食べるところが違います。」
ここで主宰者は物語を朗読。
その後、全員で唱える。
「いかに善きものを次々と私たちは主から賜ったことでしょうか。
主が私たちを偶像崇拝と滅びの世から導き出して下ったのですから、
彼らに裁きを下さずとも、私たちには十分です。」
主催者、羊の足肉を取り上げないで言う。
「この羊の肉は、過越の犠牲として、神殿が建っていた時代に私たちの先祖が食べたものです。
それはどうしてでしょうか。
それは賛むべき御方が、エジプトにあった先祖の家を、過ぎ越し給うたからです。
それは聖書に言われているように、
『また、あなたたちの子供が、“この儀式にはどういう意味があるのですか”と尋ねるときは、
こう答えなさい。
“これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、
エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである”と。
民はひれ伏して礼拝した。』(出12:27)
しかし、この羊はアブラハムの息子イサクに取って代わった犠牲の羊であり、来たるべきメシヤの象徴でした。
そして、隠されたメシヤなるパンを食べるわたしたちは、この羊を食べる必要がありません。」
主催者、種入れぬパンを取り上げて言う。
「私たちはどうしてこの種入れぬパンを食べるのでしょうか。
それは、私たちの先祖がエジプトを出発した際に、練り粉を発酵させる時間がなかったからです。
ついに私たちの父なる御方が彼らに現れて彼らを贖い給いました。
それは聖書に言われているように、
『彼らはエジプトから携え出した練り粉で、酵母を入れないパン菓子を焼いた。
練り粉には酵母が入っていなかった。 彼らがエジプトから追放されたとき、
ぐずぐずしていることはできなかったし、 道中の食糧を用意するいとまもなかったからである。』(出12:39)
しかし、やがて世に『終わりの日』が来ることが彼らに告げられました。
そして、その日にメシヤが現れることも。メシヤは来られました。
そして、『終わりの日』を過ぎ越して下さったのです。
それによって私たち人類は今、ここに存在しているのです。 」
主催者、苦菜を取り上げて言う。
「私たちが食べるこの苦菜はどうしてでしょうか。
それは私たちの先祖が偶像崇拝の国エジプトによって苦しめられたからです。
私たちも偶像崇拝の主催者とそれに追随する者らによって、苦しみを味わいました。
世の権力者による苦しみを味わい、生活の苦しみ、心の苦しみを味わいました。
私たちは各々、先祖がエジプトから救い出されたように、
私たちの父によって、世のあらゆる偽りが生み出す苦しみから救い出されました。
それゆえに私たちは、我らの先祖とわたしたちにこれらすべての奇跡をなし給うた御方に感謝し、
賛美し、賛め、たたえ、高め、崇め、賞揚し、声をあげます。
私たちの父は、私たちを奴隷状態から自由へ、つぶやきから歓喜へ、嘆きから祝いの日へ、
暗闇から大いなる光へ、圧迫から贖いへと、導き入れ給うて下さいました。
だから私たちの父の前に新しい歌を歌い、ハレルヤと言うのです。」
ハレルヤ賛歌(全員で)
<詩篇113篇>
ハレルヤ。
主の僕らよ、主を賛美せよ 主の御名を賛美せよ。
今よりとこしえに
主の御名がたたえられるように。
日の昇るところから日の沈むところまで
主の御名が賛美されるように。
主はすべての国を超えて高くいまし
主の栄光は天を超えて輝く。
私たちの神、主に並ぶものがあろうか。
主は御座を高く置き
なお、低く下って天と地を御覧になる。
弱い者を塵の中から起こし
乏しい者をあくたの中から高く上げ
自由な人々の列に
民の自由な人々の列に返してくださる。
子のない女を家に返し
子を持つ母の喜びを与えてくださる。
<詩篇114篇>
イスラエルはエジプトを
ヤコブの家は異なる言葉の民のもとを去り
ユダは神の聖なるもの
イスラエルは神が治められるものとなった。
海は見て、逃げ去った。
ヨルダンの流れは退いた。
山々は雄羊のように
丘は群れの羊のように踊った。
どうしたのか海よ、逃げ去るとは
ヨルダンの流れよ、退くとは
山々よ、雄羊のように
丘よ、群れの羊のように踊るとは。
地よ、身もだえせよ、主なる方の御前に
ヤコブの神の御前に
岩を水のみなぎるところとし
硬い岩を水の溢れる泉とする方の御前に。
贖いの賛美・・・ここで主催者はぶどう酒杯を取り上げる。
「私たちの父よ、あなたを賛めたたえます。
あなたは私たちを贖い、私たちの先祖をミツライムより贖い給いました。
そして、私たちをこの日に至らせ給いました。
私たちに平和をもって来る祭とその他の祝日へと私たちを至らせ給いますように。
私たちはあなたの町の建設に喜び、あなたの礼拝に歓喜します。
私たちはそこで御子イエスにならいます。
そして私たちは贖いと魂の救いのために、新しい歌をもって感謝しましょう。
御子イエスよ、あなたを賛めたたえます。」
次に祝福(以下)を唱え、第2のぶどう酒を飲む。
「御子イエスを通して、あなたが私たちに明らかにされた、ダビデの聖なるぶどうの木に感謝します。
私たちはイエス様にならうことによって、接ぎ木されます。」
6、手を洗い、次の祝福を唱える。
「私たちを聖別し、私たちに自らを清めることを命じ給うた、私たちの父よ、
あなたを賛めたたえます。」
7、種入れぬパンの取り出し
主催者は3枚重ねたうちの1番上にある種入れぬパンをとって、これを裂き祝福して言う。
「私たちの父よ。
御子イエスを通して、あなたが私たちに明らかにされた命と知恵に感謝します。
あなたの栄光は永遠に続きます。」
次に主催者はこれを各人に回して祝福を唱える。
「私たちを聖別し、この過越祭を行うことを許された、私たちの父よ、
あなたを賛めたたえます。」
8、苦菜
主催者はわさびをハロセットに浸して言う。
「私たちを聖別し、清めて下さった、私たちの父よ、あなたを賛めたたえます。」
9、主催者は一番下の種入れぬパンの小片とわさびをとって(パンにはさまずに)言う。
「ここでイスラエルの民はこの一番下の種入れぬパンの小片にわさびをはさんで、こう言いました。
『ヒレルによる神殿の記憶。ヒレルは神殿が建っていた時代にこのようにした。
彼は過越祭の種入れぬパンと苦菜をはさんで、共に食するのが常であった。
それは聖書の言うところを実践するためである。 “酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。”(出12:8)』
しかし、私たちはヒレルにならいません。御子イエスにならいます。」
10、過越の食事
ここで食事が出される。各人は好きなだけ食べてよい。自由人となった喜びをもって楽しく食事を共にする。
11、別に取っておいたもの
最後に、隠しておいた種入れぬパンを取り出して食べる。
これ以後は何も食べない。
そして第3のぶどう酒の杯を注ぐ(まだ飲まない)。
12、祝福
主催者は言う。
「この隠されたパンは、イスラエルでは食後に食べる『デザート』と説明されてきましたが、
本当はそうではありません。 この隠されたパンこそ、メシヤ、すなわち、御子イエスの体なのです。
イスラエルはここでこう祈ります。
『憐れみ深き神よ、すべて良き日を我らに継がしめ給え。憐れみ深き神よ、
メシヤの日と来世の生命とに我らをあずからしめ給え。
主はその王の救いを大いにし、
その油注がれた者ダビデと彼の子孫とに永久に慈しみを施される(サムエル下22:51)。
その高き所において平和を造り給う御方が、我らの上と全てのイスラエルの上に平安をなし給うように。
そして皆言うべし、アーメン。』と。
しかし、この隠されたパンこそ御子イエス。
すなわち、あらゆるすべて苦しみからの解放と愛と赦しを意味するパンです。
このパンこそ、我らの肉のみならず魂の飢え、魂の貧しさを、完全に満たして下さいます。
これを食べる者は、主の言葉を聞くことができます。
主によるあらゆるすべて苦しみからの解放と愛と赦しを得て、満ち足ります。」
個々の祈り。
終了後、主催者が言う。
「そして、かつてのイスラエルでは、ここで第4のぶどう酒の杯が注がれました。
そして、メシアの到来を告げる預言者エリヤが各々の家庭を訪れてくれることを期待して、
入口の戸を開けたのです。
それなのに、預言者エリヤであった洗礼者ヨハネは捕らわれて殺され、
メシヤである御子イエスは十字架に架けられました。
私たちは復活された御子イエスをお迎えしました。この杯を飲みましょう。 」
第3のぶどう酒を飲む。
飲んだ後、全員で。
「過越祭の式次第を、ここに終了します。
私たちがこの式を司ることを許されたように、この次もこの祝いをなすことを許されますように。
天の住まいに座し給う清き御方よ、会衆を無数に立て給え。
速やかにあなたの民を召集され、喜びの声をもって贖われる者たちを導き給いますように。
最後の言葉として、かつてのイスラエルでは『1匹のこやぎ』を唱えました。
私たちは御子イエスを思って終了します。」
散会
※過越祭はニサンの14日の夕から。除酵祭は15日の夕からで、併せて7日間続く。最初の日と終わりの日が祝祭日で、その間の日々は通常どうりである。イスラエルの地以外では、最初と最後の2日間は聖日として守るため、ディアスポラ(離散の地)では8日間となる。