預言が証明する神の実在


 神の実在は、旧約聖書に収められている預言者の書によって、すでに証明されていて、そこに記されている預言が事実であるならば、誰もこれを否定することができない。

 預言者イザヤは、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂していた時代に、南ユダ王国の王ウジヤ・ヨタム・アハズ・ヒゼキヤの治世にわたって預言した。イザヤは、北イスラエル王国と南ユダ王国が神の審判によってアッシリア、バビロニアに捕囚されることを告げた。イザヤはまた、バビロニアが神によって審判されて主の民が「主が油を注がれた人キュロス(ペルシャのクロス王)によって解放され、母国に帰還する日が来ること、そして苦難の後に1人のみどりご(救世主)がとこしえの王国を打ち立てること、そして最終的には世の帝国は神の世界審判によって滅ぶことをを示した。

 預言者エレミヤは、南ユダ王国の王、ヨアキムとゼデキヤの治世の終わり、すなわちバビロニアに捕囚されるときまで預言した。エレミヤは、多くの偽預言者たちが主の民の安全を預言するなかで、ただ1人、神に背いた主の民がバビロニアに捕囚されること、神はやがてメディアを奮い立たせてバビロニアを滅亡させ主の民を救い出すことを預言した。そして、バビロニアからは「隅の土台石」は出ず、神がイスラエルの家とユダの家と新しい契約を結び、神の律法をモーセの時とは違って石に刻むのではなく、主の民の胸の中に授け、彼らの心にそれを記すことを預言した。

 預言者エゼキエルは、バビロニアに捕囚されてケバル川の河畔に住まわされていた捕囚民の中にいたとき、神の顕現に接した。彼が見たその姿は、4つの顔(獅子の顔・人間の顔・牛もしくはケルビム=御使いの顔・鷲の顔)を持っていて、それぞれ4つの翼を持ち、その傍らに4つの回転する車輪があった。そして、それらは地上でイスラエルを支配することになる4つの大国を示していた。
 預言者ダニエルは、捕囚されてバビロニアの王ネブカドネザルの王宮に召されていた。ダニエルは、4頭の獣の幻を見た。第1のものは獅子のようで鷲の翼が生えていたが、翼が引き抜かれ地面から起き上がらされて人間のように足で立ち、人間の心が与えられた。第2の獣は熊のようで横様に寝て3本の肋骨を咥えていた。第3の獣は豹のようで、背に鳥の翼が4つあり、頭も4つあって、権力がこの獣に与えられた。第4の獣はものすごく、恐ろしく、非常に強く、巨大な鉄の歯を持ち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじった。他の獣と異なって、これには10本の角があった。ダニエルはまた、「油注がれた君」の到来まで6週あり、また、72週あって、「油注がれた者」は不当に断たれ、都と聖所が次に来る指導者の民によって荒らされ、終わりまで戦いが続き、「憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらす者が座し、そしてついに定められた破滅が荒廃の上に注がれることを預言した。そして、「憎むべき荒廃をもたらすもの」が立てられてから1290日が定められており、待ち望んで1335日に至る者の幸いを預言した。

 預言者ゼカリヤは、ペルシャによって解放されて帰還した民の中の1人であった。ゼカリアは馬に引かれた4両の戦車を見た。最初の戦車には赤毛の馬数頭、2番目の戦車には黒い馬数頭、3番目の戦車には白い馬数頭、4番目の戦車にはまだらの強い馬数頭がつけられていた。

 この預言者たちが共通して預言した4つのものは、救世主が登場するまでにイスラエルを支配する4つの世界帝国、すなわちバビロニア帝国、ペルシャ帝国(ペルシャ人の王クロスとメディア人の王ダリヨスによる共同支配)、ギリシャ(マケドニア)帝国、ローマ帝国を示している。4人の預言者は別の時に、別の場所で、互いを知ることもなく、みな一致して、これほどにはっきりと、これから起こることを同じく預言し、それが一致しており、そしてそのとおりに成ったのはなぜか。彼らはいかにして、それを預言することができたか。神によって彼らに預言されたのでなければ、それは不可能である。そして、その預言が、預言された時に、預言された場所で、預言された通りに実現した事実は、神ご自身の世への働きを、はっきりと証明しているのである。

 4人の預言者に共通している預言の目的地は、4番目の獣の支配の時代に生まれる救世主なのである。神は、救世主を待望する者たちのために、彼らにそのことを預言させたのである。
 そして彼らの預言は、その赤子によってすべて成就した。もし彼が救世主でないならば、彼ら預言者のすべての体験に意味がなかったことになる。この世のことに私的な関心を持たず、常に命の危険にさらされ、それでも預言に命をかけた彼らの人生が、すべて無意味であったなどということは、ありえない。つまり、神は生きて世に働いておられ、イエスは間違いなく救世主なのである。これは、否が応でも全人類の誰もが認めざるをえない「事実」である。

 さて、預言はイエスが十字架につけられた後にも続いている。旧約時代の預言者たちが見た、救世主イエスの登場までにイスラエルを支配する4つの獣と同様の幻が、新約聖書の最後に収められている「ヨハネの黙示録」に記されている。
 そこには、子羊(イエス)が天の巻物の7つの封印が1つずつ開くたびに4つの生き物が登場することが記されている。小羊が第1の封印を開くと白い馬が現れ、第2の封印を開くと赤い馬、第3の封印を開くと黒い馬、第4の封印を開くと青白い(まだらの)馬が現れ、それぞれの馬に乗っている者がいる。

 馬というのはゼカリヤが見た幻と共通しているが、注意深く見ると、登場してくる馬の順番が異なっているのが分かる。これらはイエスの十字架から「終わりの日」までに登場する4つの支配者を示しているのである。
 キリスト教会では、ヨハネの黙示録の幻をすべてローマ時代に起きたクリスチャン迫害から教会がローマを支配するまでに当てはめ、教会の勝利を示しているとする解釈があるが、旧約の預言者たちの幻と対比したとき、その規模があまりに小さすぎて無理がある。また、その解釈では、ヨハネの黙示録に記されている他の様々の預言、幻と一致せず、矛盾する。すべての預言、幻は、旧約時代の預言のように一致しなければならない。

 すべての預言が矛盾なく一致する解釈は、1つしかない。
 旧約時代に主イエスまでに登場する4つの支配者+主イエスから終わりの日までに登場する4つの支配者、そしてそのうちの1つは以前と同じもの=つまり、これが「終わりの日」登場する「7つの頭をもつ赤い獣」の正体である。この獣は「666の獣」と一致する。この赤い獣には「姦淫の女(あらゆる宗教と迎合した教会)」がまたがっていて、赤い獣(世の支配者)はこの女を乗せている。この淫婦が座っている所は、さまざまの民族、群集、国民、言葉の違う民(つまりバベルの塔)で、赤い獣はこの淫婦を憎むと記されている。
 そして、この女とは「地上の王たちを支配しているあの大きな都のこと」であり、それは大バビロンであると記されている。




真の預言者と偽預言者


 
さて、旧約聖書の預言者たちと、主イエス、そして12弟子たちには、共通項がある。それは彼らが、主の律法を固く守り、主の律法に背く民を激しく批難し、主に立ち帰るよう呼びかけていることである。律法を守らない預言者はあり得ない。それは真の預言者ではなく、偽預言者である。ただし、「主の律法」とは何かという問題がある。なぜなら現在、律法と呼ばれている書物は、神ご自身によって「書記が偽る筆をもって書き、それを偽りとした。」(エレミヤ8・8)とはっきり言われているからである。しかしこれは、律法そのものの否定ではない。預言者たちは随所に律法の誤りを正している。救世主イエスも、主の律法の一点一画たりとも否定されず、主の律法の正しい解釈を教えられている。

 現在、キリスト教会には、自称「預言者」が数多く存在する。その真偽を確かめる、もっとも正しい方法は、彼らが主の律法を守っているかどうかである。偽預言者たちは、そのことから目をそらさせるために独自に「預言者の真偽を見分ける方法」を創作している。そのことをもってしても、彼らが偽預言者であることを自ら証明している。

 また、御国の到来について聖書に記されていない「空中携挙」などを預言する預言者にも気をつけるべきである。なぜなら御国とは、いま現在を主と共に生活していることであり、それを将来の空中に求めることは、いま現在を主と共に生活していないことを証明してしまっているからである。いま現在を主と共に生活していない預言者などというものは、存在しえない。預言者は、いま現在、神の教え(主の律法)と命令に従っているはずである。