イスラエルは、出エジプトした民が、神に約束されたカナンの地に入り、ダビデ王によって国家確立され、その子ソロモンの時代に栄華を極めた・・・と言われる。
ソロモン王の晩年に国は崩壊し始め、その死後すぐに国は南北に分裂。やがて大国に滅ぼされて、民は捕囚された。捕囚の民は後に、ペルシャによってイスラエル帰還を許され、国の再建に取り掛かる。しかしペルシャがマケドニア(ギリシャ)に滅ぼされると、イスラエルもマケドニアに支配され、ローマがマケドニアを滅ぼすとローマに支配された。ローマ帝国の傀儡であるヘロデ王が神殿を再建した頃にイエス・キリストが登場する。しかし、イエスは十字架にかけられ、70年後、イスラエルはローマによって滅び、他国に逃げた民はディアスポラと呼ばれた。
やがてローマに、キリスト教を公認する皇帝が登場する。キリスト教が権力を掌握すると、ローマはキリスト教国となったが、ローマ帝国は東西に分裂。キリスト教も教義の違いにより分裂し、イスラエルの地は東ローマのビザンチンに統治される。その後、イスラム教徒のアラブ人アブドゥルマリクがイスラエルを征服し、イスラエルはアラブ(パレスチナ)となり、エルサレムに「岩のドーム」が建てられる。キリスト教ローマは十字軍をエルサレムに送り込み、ラテン王国を築くも、まもなくイスラムに奪還される。その後、イギリスがこの地を征服した。
この間、ヨーロッパで金貸し等になっていたディアスポラのユダヤ人の一部が憎しみを買い、ユダヤ人差別が拡がると、パレスチナの地に帰還してイスラエルを再建しようというシオニズム運動が起こった。第2次大戦でナチス・ドイツによって迫害されると、ユダヤ人たちはロスチャイルド等の富豪の出資やイギリス政府への働き掛けもあって一気にパレスチナに帰還した。そして、数度の中東戦争を経てパレスチナを占領していき、イスラエル国家を宣言。ところが、かつての首都エルサレムは既にイスラム教徒の手に渡っており、エルサレムにおけるユダヤ教・キリスト教・イスラム教の宗教対立は今も解決を見ない。また、イスラエルとパレスチナは双方が土地の所有権を有しているため、土地を巡っての紛争は先が見えない状況だとメディアは報じる。
実は、パレスチナ問題は近代に生じた問題ではなく、出エジプトした民がカナンの地を目指した時からの問題である。旧約聖書の「士師記」、「サムエル記」、「歴代誌」等にたびたび登場するペリシテ人がパレスチナ人である。
出エジプトの民がカナンに入ることは、民の背信もあって容易ではなかったことが聖書に書かれている。モーセの後継者とされるヨシュアをはじめ、サムソンやギデオンといった士師たちが何代にもわたって戦ったが、カナンの地を手に入れることはできず、ようやくダビデの登場によりペリシテ人との戦いに勝利して、カナンの地にイスラエル国家を事実上、確立した。このときのペリシテ人ゴリアテとダビデの戦いは、有名である。
ダビデは、ユダヤ人にとって理想の王であり、キリスト教徒にとっても「ダビデのひこばえ」と称されるイエス・キリストのひな形として讃えられ、イスラム教でも「祈りと断食に厳格だった義の王であり預言者の1人」とコーランに記されている。
ダビデは、主なる神に忠実だった。神への強い信仰で難敵に立ち向かい、数々の苦難を信仰によって乗り越え、人類史上で誰も成しえなかった「神の国」を地上に打ち立てたのだ。まさに信仰の鏡であり、称賛されてしかるべきだろう。
しかし、王位についてからのダビデは、神に背いた。あまりにも大きな罪を犯した。ダビデが王になったとき、ティルスの王ヒラム(フラム)がダビデのもとに使節を派遣し、王宮建設のために石工と資材を送ってきた。そのとき、「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を非常に高めてくださったことを悟った」と聖書に記されている(歴代誌上14・1〜2)。しかしながら、このティルスについて主なる神は、エゼキエル書でこう告げている。
主の言葉がわたし(預言者エゼキエル)に臨んだ。「人の子よ、ティルスの君主に向かって言いなさい。主なる神はこう言われる。お前の心は高慢になり、そして言った。『わたしは神だ。わたしは海の真ん中にある神々の住みかに住まう』と。しかし、お前は人であって神ではない。ただ、自分の心が神の心のようだ、と思い込んでいるだけだ。お前はダニエルよりも賢く、いかなる奥義もお前には隠されていない。お前は知恵と悟りによって冨を積み、金銀を宝庫に蓄えた。お前は取引に知恵を大いに働かせて冨を増し加え、お前の心は冨のゆえに高慢になった。
− 中略 −
主の言葉がわたし(エゼキエル)に臨んだ。『人の子よ、ティルスの王に対して嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。主なる神はこう言われる。お前はあるべき姿を印章としたものであり、知恵に満ち、美しさの極みである。お前は神の園であるエデンにいた。あらゆる宝石がお前を包んでいた。ルビー、黄玉(こうぎょく)、紫水晶、かんらん石、縞めのう、碧玉(へきぎょく)、サファイア、ざくろ石、エネラルド。それらは金で作られた留め金で、お前に着けられていた。それらはお前が創造された日に整えられた。
わたしはお前を、翼を広げて覆うケルブとして造った。お前は神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いていた。お前が創造された日から、お前の歩みは無垢であったが、ついに不正がお前の中に、見いだされるようになった。お前の取り引きが盛んになると、お前の中に不法が満ち、罪を犯すようになった。そこで、わたしはお前を神の山から追い出し、翼で覆うケルブであるお前を、火の石の間から滅ぼした。お前の心は美しさのゆえに高慢となり、栄華のゆえに知恵を堕落させた。わたしはお前を地の上に投げ落とし、王たちの前で見せ物とした。お前は悪行を重ね、不正な取り引きを行って自分の聖所を汚した。」(エゼキエル書28・2〜18)
神は、ティルスのフラムこそは、エデンにいた蛇であると名指ししているのだ。
ティルスの王フラムは、神殿建設の親方として、フラムをイスラエルに送り込んだ。このフラムの母はイスラエル12部族のダン族の女性だった。彼女はナフタリ族の夫と死別してティルス人と再婚し、フラムを産んだのである。
ダビデが、ティルスの王フラム(ヒラム)が自分のために贈り物をしてきたことによって、主なる神が自分をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために自分の王権を非常に高めてくださったことを悟った、というのは大きな間違いであった。蛇は、ダビデを冨と名声で誘惑し、ダビデと主の民イスラエルの破滅を画策したのである。
ダビデは、蛇の誘惑に陥落し、蛇と手を結んだ。本来は神の国を世に取り戻す基点となるはずだったダビデは、蛇と手を結んで手に入れた冨と名声に酔いしれた。多くの妻と側女を娶り、遂には部下であるヘト人ウリヤの妻バト・シェバと姦淫の罪を犯した。その上、バト・シェバが子を宿したことを知ると、バト・シェバの夫ウリヤを戦場の最前線に送り込んで戦死させ、バト・シェバを王宮に引き取った。預言者ナタンはダビデの罪をとがめる神の言葉を伝えた。そして、生まれた子は7日目に死んだ。
それでもダビデは、バト・シェバと交わり、再び子を設ける。そして誕生したのが、ソロモンである。
ダビデ、ソロモンと言えば、神に忠実な偉大な王だと思い込んでいる人が多いだろうが、聖書をよく読むと、このダビデ、ソロモンが犯した重大な罪こそが、その後のイスラエルと全人類に甚大な不幸をもたらしていることが明らかになるのである。
聖書の歴代誌上29章の末尾に、ダビデ王の事績については『先見者サムエルの言葉』『預言者ナタンの言葉』および『先見者ガドの言葉』に記されている、と書かれているが、ダビデの罪をとがめたナタンとガドの2人の預言者の書は、現代に至るまで見つかっておらず、「失われた聖典」と呼ばれている。ガドは、ダビデの人口調査をとがめた預言者である。この2つの書が失われている理由については、読者の想像に任せるしかない。
ダビデの姦淫の罪は、単にダビデ個人の罪にとどまらない。ダビデが死んだ後、王位に就いたソロモンは、エジプトのファラオの婿となり、ファラオの娘を王妃にした。そして、ギブオンにあった「聖なる高台」でいけにえをささげ、香を焚いた日の夜、あの有名な出来事が起こる。主がソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われ、ソロモンは「善と悪を判断することができる、聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう」と願い、主はソロモンに「あなたは自分のために長寿を求めず、冨を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた」と喜ばれ、知恵だけでなく、冨と栄光、長寿を与えたという逸話である。
「聖なる高台」は、聖書に何度も登場する偶像崇拝の舞台で、木や石柱をアシェラ等の偶像神の憑代(よりしろ)としており、主なる神がそこで礼拝することを厳しくとがめている場所である。ソロモンの夢枕に立った「主」とは、果たして本当に「主」であったろうか。
ソロモンの父ダビデの時代から深く結びついていたティルスのヒラム(フラム)は、ソロモンに使節を派遣し、石工を送り込んで、神殿建設に着手する。20年を費やして、2つの建物、神殿と王の宮殿を建て終わったとき、ソロモンはフラムから建設資材だけでなく金120キカルを贈られていたので、ヒラムにガリラヤ地方の20の町を贈ったが、フラムは「わたしの兄弟よ、あなたがくださったこの町々は一体何ですか」と言った。そのため、この町々はカブルの地(値打ちのない地)と呼ばれている。ソロモン王は船団を編成した。フラムも船団を組み、自分の家臣たちを送り、ソロモンの家臣たちに合流させた。彼らはオフィルに行き、金420キカルを手に入れ、ソロモン王のもとにもたらした。また、シバの女王もソロモンに金120キカルを贈った。ソロモンの歳入は、金666キカルであった(列王記上10・14)。
ソロモンには、王妃としての妻700人、側女300人があった(列王記上11・3)。ソロモンは彼女らの神々に従い、シドン人の女神アシュトレト、アンモン神の神ミルコムやモレク、モアブ人の神ケモシュ等のために祭壇を築いた。ソロモンの知恵が真の知恵であるなら、そのことが何を招くことになるかを理解できないはずはない。真の知恵は、真理と分別を心得るはずだが、ソロモンには真理も分別もなかった。
ソロモンと彼女たちの子らは、ダビデの血を引く王族として、数を増やしていった。「ユダヤ人」とは、イスラエル12部族のうちのユダの子孫たちのことだが、ソロモン以降は、ソロモンと異教徒の妻や側女たちの子孫たちが取って代わったことを知っておく必要がある。そして、これこそが蛇がダビデに仕掛けた罠であった。ダビデの子孫にメシヤが誕生することを知っていた蛇は、メシヤへとつながる神の血統を汚すために、そしてイスラエルを破滅させ、さらには人類を支配して蛇が全人類の神として君臨するために、ダビデを堕落せしめたのである(主イエスはソロモンの子孫ではない。主イエスの血統はダビデが姦淫の罪を犯す前に、祭司たちによって隠されて継承されていったことも聖書に書かれている。ダビデが罪を犯す前に生まれたユダヤ人もいるし、ユダの子孫は他にもいることも忘れてはならない。「ユダヤ人」といっても、ひとくくりにはできないのだ。主イエスは「ダビデのひこばえ」とも呼ばれるが、「ひこばえ」とは切り倒された大木の株などの根本から生える芽のことで「何もなくなってしまったように思える状況の中から現れる希望」を意味する。主エスは言われた。「どうして律法学者たちは『メシアはダビデの子だ』と言うのか。ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を、あなたの足もと屈服させるときまで」と。』このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。(マルコ福音書12・35〜37)
)。
ソロモンの治世中に、イスラエルは内外から崩壊していき、ソロモンの死と共に、南北2つの国に分裂した。どちらの国も神に背いて数々の汚れた行いにふけった。主なる神は何度も預言者を送り、王や人々に神に立ち帰るよう諭すが、彼らは偶像や他国を頼みとして、神に立ち帰ろうとする者はわずかだった。
そんな中、南ユダ国にヨシヤ王が立った時代に、大祭司ヒルキヤが神殿で律法の書を見つけた。ヒルキヤがそれを発見するまで、律法の書は隠されており、永らく守られていなかったのである。律法の存在を知ったヨシヤ王は、ユダの各地にあった異教の神の祭壇を壊し、霊媒や占いや偶像を一掃し、律法に記されている通りに過越祭を行い、焼き尽くす献げ物のいけにえを献げたが、メギドの丘(ハルマゲドン)でエジプトの手によって殺されてしまう。ヨシヤ王は、王だと分からないように変装していたが、流れ矢に当たって死んだ。
大祭司ヒルキヤがソロモン神殿で見つけた律法の書が正しいなら、ヨシヤ王はなぜ死ななければならなかったか。その答えが聖書のエレミヤ書に書かれている。エレミヤは大祭司ヒルキヤの子で、主なる神の預言者だった。主なる神はこう言われた。
「わたしはお前たちの先祖をエジプトの地から導き出したとき、わたしは焼き尽くす献げ物やいけにえについて、語ったことも命じたこともない。むしろ、わたしは次のことを彼らに命じた。『わたしの声に従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。』」(エレミヤ書7・22〜23)
「どうしてお前たちは言えようか。『我々は賢者といわれる者で、主の律法を持っている』と。まことに見よ、書記が偽る筆をもって書き、それを偽りとした。」(エレミヤ書8・8)
書記が偽る筆をもって書き、それを偽りとした、ということは、大祭司ヒルキヤがソロモン神殿で見つけた律法は偽りの筆で改ざんされた律法ということで、それを偽りとする以前の正しい律法があったということになる。その正しい律法が明らかにされたのは、主イエスが到来したときだった(新約聖書をきちんと読めば、主イエスが正しい律法を教えたことが分かる。主イエスは律法を廃するために来たと思ってはならないと自ら言っておられる。にもかかわらずパウロは、主イエスにより律法は廃されたと誤って教えたため、キリスト教は律法を棄て、主イエスの真意が分からなくなってしまった)。
やがて北イスラエル国はアッシリアに滅ぼされ、南ユダ国はバビロニアに滅ぼされた。預言者エゼキエル書には、当時のエルサレム神殿の内部の様子が記されている。神殿には壁一面に、あらゆる地を這うものと獣の憎むべき像、およびあらゆる偶像が彫り込まれていた(エゼキエル8章)。
国が滅んで捕囚された民の子孫たちは、神の預言のとおりにペルシャによって自国に帰還することを許され、イスラエルの地に戻った。しかし、帰還したのは神に忠実な人たちだけではなかったし、異邦人を娶る者たちも多く、その妻たちは偶像崇拝をこの地に持ち込んだ。
さらに悪いことには、ティルス人もその地に住みつくようになったと聖書に記されている(ネヘミヤ書13・16)。ティルス人たちは、あらゆる商品を持ち込み、安息日に、しかもエルサレムで、ユダの人々に売った。帰還者たちの中には、ソロモン神殿を再建しようとする者たちもいたが、その半ばでギリシャ(マケドニア)に征服されてしまい、神殿には「憎むべき破壊者」(ゼウス像)が立てられた(キリスト教では、イエス像は若きゼウスに似せて描いたのが始まりだとしており、ラテン語聖書の神の名も「デウス」である)。その後、ギリシャを滅ぼしたローマ帝国が、傀儡政権であるヘロデ王を擁立し、ヘロデ王が神殿を再建した。いわゆる「第2神殿」である。神殿で祭礼を行う祭司や裁判所の裁判官は、ローマ帝国とヘロデ一族の息のかかった者たちだった。メシヤ誕生の預言を知ったヘロデ王は、赤子たちをことごとく殺した。
主イエスは、そのようなときにベツレヘムに生まれた。
主イエスは、真の律法を明らかにされ、真の律法の道を歩む者らと新しい契約を結び、蛇が支配する世の終わりと人の子の到来について教えられた。しかし、律法学者たちとファリサイ派の人々に対しては、「先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうか。蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか」(マタイ13・33)と言われた。そして蝮の子らが、主イエスを十字架につけ、先祖が始めた悪事の仕上げをした。主イエスは、人類の罪を贖ってくださるため十字架につくために来られたのではない(イエスは十字架にかかって私たちの罪のために死んでくださったとか、イエスの十字架は罪の贖いだった、というような記述は聖書のどこを探しても存在しない)。
ただ、主イエスは死ななかった。勝利の栄光を帯びて神の右の座に就かれている。
主イエスが十字架につけられた70年後、イスラエルはローマ帝国によって壊滅させられる。そのローマ帝国で拡がったのが、主イエスの12使徒とは異なる独自の教えを説いたパウロの信徒たちであった。やがて1人の男が十字架を旗印にしてローマ帝国の皇帝の座を争って勝利する。その男の名はコンスタンティヌス。パウロの信徒たちは、コンスタンティヌスが大神官を務めるミトラ教と手を結び、ローマ公認の宗教の座を手に入れた。ローマ教皇の位に座した教会は、自分たちの教えと異なるイエス信徒らを「異端」として迫害し、殺戮した。フラムの子らもキリスト教に侵入し、パウロの教えはヨーロッパ全土で権勢を誇り、ユダヤ商人は彼らと共に冨を膨らませていった。大航海時代には、ティルスの貿易と奴隷売買、ユダヤ商人の投資、そしてキリスト教が、一体となって植民地に根付かされていった。
この頃、中東にイスラム教が興る。イスラム教は、キリスト教の偶像崇拝をいさめた。イスラム教徒のセルジューク朝(現トルコ)は、エルサレムを支配するほどに強大になった。キリスト教会は十字軍をエルサレムに送り込み、血で血を洗う争いが200年もの間、繰り広げられた。
ローマ帝国が東西に分裂して弱体化すると、ヨーロッパの覇者は、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスと移り変わる。「ユダヤ人は各国の利権争いを利用して資本を膨らませている」という反ユダヤ主義もヨーロッパ中に拡がった(反ユダヤ主義は200年続いた十字軍の影響も指摘される)。この頃、イスラエルの地に帰還したのが、主にロシア在住のユダヤ人であった。
フランスで起きた冤罪事件(ドレフュス事件)をきっかけに、シオニズム(イスラエルを再建しようという運動)運動も盛んになり、ロシアとポーランドからイスラエルに帰還するユダヤ人が多くなり、最初のユダヤ人都市テルアビブが作られた。やがて第1次世界大戦が勃発。パレスチナの地はイギリスが征服したが、イスラエルとパレスチナの双方に国家建設を承認した。第1次世界大戦に破れたドイツは莫大な賠償金に苦しめられ、強いドイツを掲げたナチスが政権を握る。ナチスのポーランド侵攻により第2次世界大戦が始まると、ヒトラーがユダヤ人を迫害し、それを機にユダヤ人たちは、ロスチャイルドら富豪の出資やイギリス政府への働き掛けもあって、大挙してパレスチナへとなだれ込んだ。パレスチナにはその歴史上、アラブ人、キリスト教徒、イスラム教徒が多く住んでいたが、入植したユダヤ人は買収と中東戦争で土地を占領していき、イスラエル国家を宣言した。これが現在に至るまでの、大まかな経緯である。
イスラエルの都エルサレムと神殿があった場所は今も、孤立し、置き去りになり、見捨てられ、荒れ野となったままだ。かつて、そこに居たのは「あらゆる地を這うものと獣の憎むべき像、およびあらゆる偶像」である。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は共にエルサレムを聖地として主権を奪い合い、蛇と偶像のソロモン神殿跡の石の瓦礫のために、数多くのユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒たちが殺し合い、血を流してきた。そして今この瞬間も、その地には日々、死体の山が積まれている。彼らの共通の聖典である聖書に書かれていることが、まるで見えていないかのように。
バビロンの王は、エジプトの川からユーフラテス川に至るまでを占領するために、殺戮を続けていくだろう。
彼らの愚かな争いに巻き込まれないよう、今はそこから逃げなければならない。
戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは生みの苦しみの始まりである。(マルコ福音書13・7〜8)
憎むべき破壊者が立ってはならない所に立ったとき、天地創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来る。(マルコ福音書13・14〜23)
それは、人間が神になって、神が創造した世界を壊しながら築いてきた文明と偶像崇拝が一掃されるためなのだ。ニムロデが神に逆らって、自分が神になって人類と地球を支配しようとレンガで「塔のある町バビロン」を築こうとしたあの日以来、人類は何度もバビロンを築いてきた。バビロンのことを人は「文明」と呼んで、人類の叡智を誇る。しかしバビロンは、蛇が人間の欲望を唆して富を築き、冨によって人間を支配し、人間たちを神に目覚めさせず快楽と苦悩のまま死なせて地獄に送り込むシステムの別名だ。
人間は自らの利便と快楽のために地球を破壊し、他のあらゆる生き物を殺し、人間同士で殺し合い、人間を不幸にしてきた。もう十分である。
バビロン(世)は滅ぶ。
その苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が来て、御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。(マルコ12・24〜27)
その日、人は言う。
「見よ、この方こそ我らの主。
我らは、この方を待ち望んでいたのだ。
この方が、我らを救い給う。
この方こそ、我らが待ち望んでいた『わたしは在る』方。
我らは、その救いを祝って喜び踊ろう。」