平成12年(2000年)1月5日、これもまた主から出た言葉である。主の計らいは驚くべきもので、大いなることを成し遂げられる。
「ああ、主の祭壇よ、主の祭壇よ、わたしの僕が陣を張った所よ。年毎に祭の数を増し、巡り来たらせよ。そのとき、わたしは主の祭壇を苦しめる。主の祭壇には嘆きと、ため息が臨み、祭壇の炉のようになる。わたしはお前を囲んで陣を張り、砦を築き、城壁を建てる。お前は倒されて地の下から語り、お前の言葉は塵の下から鈍く響く。亡霊のようなお前の声は地の下から聞こえ、お前の言葉は塵の下からかすかに響く。
主は民に代わって争い、彼らの命を奪う者の命を、奪われるであろう。怒りやすい者の友になるな。激しやすい者と交わるな。彼らの道に親しんで、あなたの魂を罠に落としてはならない。手を打って誓うな、負債の保障をするな。償うための物があなたになければ、敷いている寝床まで取り上げられるであろう。昔からの地境を移してはならない、先祖の定めたものなのだから。 技に熟練した人を観察せよ。彼は王侯に仕え、怪しげな者に仕えることはない。支配者と共に食卓に着いたなら、何に直面しているのかをよく理解せよ。あなたが食欲旺盛な人間なら、自分の喉にナイフを突きつけたも同じだ。
主に戦いを挑んだいのんどとクミンの種は、すべてこのようになる。ためらえ。立ちすくめ。目をふさげ。そして見えなくなれ。主はお前たちに深い眠りの霊を注ぎ、お前たちの目である預言者の目を閉ざし、頭である先見者を覆われた。それゆえすべての幻は、お前たちにとって封じられた書物の中の言葉のようだ。字の読める人に渡して、『どうぞ、読んで下さい』と頼んでも、その人は『封じられているから読めない』と答える。字の読めない人に渡して、『どうぞ、読んで下さい』と頼んでも、『私は字が読めない』と答える。」
主は言われた。
「この民は口で私に近づき、唇で私を敬うが、心は私から遠く離れている。彼らがわたしを敬うとしても、それは人間の戒めを覚え込んだからだ。そえゆえ、見よ、わたしは再び、驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。賢者の知恵は滅び、聡明な者の分別は隠される。災いだ、主を避けてその謀を深く隠す者は。彼らの業は闇の中にある。彼らは言う。『誰が我らを見るものか、誰が我らに気づくものか』と。
なおしばらくの時がたてば、そこは再び園となり、園は森林としても数えられる。その日には、耳の聞こえない者が、書物に書かれている言葉をすら聞き取り、盲人の目は暗黒と闇を解かれ、見えるようになる。苦しんでいた人々は再び主にあって喜び祝い、貧しい人々は、主の民の聖なる方のゆえに喜び踊る。暴虐な者はうせ、不遜な者は滅ぶ。」
平成12年(2000年)1月7日、主はハナンエルに言われた。
「主の聖所に、主を避けてその謀(はかりごと)を隠す者らがいる。彼らの業(わざ)は闇の中にある。彼らは言う。
『我らの盾は次々と連なって、風の吹き込む透き間もない。』
しかし、あなたは喜びを得る。あなたが主に信頼する者となるように、今日、あなたに教えを与えよう。
彼らは目に異様なものを見、心に暴言をはき始める。海の真ん中に横たわっているかのように、綱の端にぶら下がっているかのようになる。彼らは言う。『打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。』
わたしは彼らの領地を嗣業として、自分の民に与えた。そのことは記念されて代々に伝えられる。わたしは自分の民の裁きを行い、僕らを勇気づける。国々の偶像は金や銀にすぎず、人間の手が造ったもの。彼らはわたしが開かせた胎から生まれたのに、心には7つの忌むべきことを持っている。憎しみはごまかし隠しても、その悪は会衆の中で露見する。穴を掘る者は自分がそこに落ち、綱の端にぶら下がっているかのようになる。『打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。酔いが醒めたらまたもっと酒を求めよう。』
悪者のことに心を燃やすな、彼らと共にいることを望むな。悪者が心に思いめぐらすのは暴力。唇が語るのは労苦を引き起こすこと。家は知恵によって築かれ、英知によって固く立つ。知識は部屋を満たし、貴く喜ばしい財産となる。知恵ある男は勇敢にふるまい、知識ある男は力を発揮する。悪との戦いには指揮する力が必要であり、勝利を得るためには作戦を練るべきだ。無知な者に知恵は高尚すぎる。城門で口を開くべきではない。悪意ある考えを持つ者は陰謀家と呼ばれる。無知の謀は過ちとされる。不遜な態度は人に憎まれる。苦難の襲うとき気力を失い、力を出し惜しみ、死に捕えられた人を救い出さず、殺されそうになっている人を助けず、『できなかったのだ』などと言っても、心を調べ見抜いている。魂を見守るわたしは知っている。わたしは人の行いに応じて報いを返す。
園は森林としても数えられる、その日には。
わたしは立ち上がり、ギブオンの谷のときのように憤る。それはわたしの業(わざ)を果たすため。しかし、その業は未知のもの。また、働きをするため。しかし、その働きは敵意あるもの。
今、嘲ることをやめなければ、彼らの縄目は厳しくなる。あなたは定められた滅びについて聞いた。それは主なる神から出て国全体に及ぶ。
聞け、私の声に耳を向けよ。
聞け、わたしの言うことに耳を傾けよ。
あなたは書物に書かれている言葉を聞き取り、暗黒と闇を解かれた。まことの言葉をあなたの使者に持ち帰らせよう。
あなたがたをすべての罪から清める日に、わたしは町々に人を住まわせ、廃墟を建て直す。荒れ果てた地、そこを。
わたしは門主に追随する者の子も撃ち、彼らに、しるしと奇跡を送った。門主とその追随者すべてに対して。
わたしは多くの者を撃ち、強大な支配者らをことごとく倒した。そして彼らの領地を嗣業として与えた。」
この後、主から遣わされた霊が、私に代わって高等裁判所に提出する「控訴趣意書」を教え示した。霊によって記された
「控訴趣意書」は以下のとおりである。
平成12年2月9日
名 古 屋 高 等 裁 判 所 御 中記
私は地裁判決文にあるような詐欺罪を犯していない。もし、判決文にある詐欺罪を犯したのであれば、決して詐欺罪を免れようとは思わない。しかし、私はこの神(=霊)のおぼし召しを、感謝して承る所存である。
私は、知恵であり、愛であり、全能者であり、主であり、神である“霊”を礼拝し、その教えをことごとく信じている。
更に、世間一般の人々が、自らは見たこともなく、知りもしないが、想像してそれが“霊”だとし、地裁もその想像を事実と認定した、空しい幻のような“霊”である「死者の復活」についても、想像でも幻でもなく、正しく信じている。不滅の“霊”がすべてのものの中にあることを信じている。
●霊の取りつきと霊能について聖書にこう書かれている。「『先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。』イエスはお答えになった。『なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。』人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。イエスは父親に、『このようになったのは、いつごろからか』とお尋ねになった。父親は言った。『幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。』イエスは言われた。『“できれば”と言うか。信じている者には何でもできる。』その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のないわたしをお助けください。』イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。『ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。』すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。その子は死んだようになったので、多くの者が、『死んでしまった』と言った。しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。イエスが家の中に入られると、弟子たちはひそかに、『なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか』と尋ねた。イエスは、『この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ』と言われた。(マルコによる福音書9章)
今回事件はこれに尽きる。
一例を挙げる。平成6年頃、得度した新しい僧侶が東京上野にいて、その中の一人が霊に取りつかれて地に倒れ、口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせており、高野(たかの)という僧侶が霊を追い出そうとしてもできないとのことで、私に何とかしてくださいと言う。私が行ってみると、女性が男の声で叫びながら地面を転げ回り、泡を吹いていた。そこで周囲にいた者に話を聞き、その霊を叱りつけた。女性はしばらくぐったりしていたが、やがて正気に戻った。
私は祈りによって多くの汚れた“霊”を取り除いた。“霊”の力に刃向かうものはなかった。満願寺の人たちのためにも祈った。私は、自分の力でこれをしたのではない。自分をむなしくして“霊”に祈り、“霊”の力によってなしたのである。
聖書にもこう書かれている。
「子(イエス)は、父(神=“霊”)のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。」
「わたし(イエス)は自分ではなにもできない。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方(神=“霊”)の御心を行おうとするからである。」「父(神=“霊”)がわたし(イエス)に成し遂げるようにお与えになった業(わざ)、つまりわたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。」
(いずれも『ヨハネによる福音書5章』)霊能とはこういうものなのである。
また、こうも書かれている。「祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、言った。『何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。』イエスは言われた。『では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。』(彼らは答えられなかった。)(マルコによる福音書11章)
イエスもヨハネからの洗礼を受けた。しかしイエスはヨハネからではなく、“霊”(=神)からの洗礼を受けて、“霊”を授かったのである。
また、こうも書かれている。
「ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。『あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。』そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。『主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に“行け”と言えば行きますし、他の一人に“来い”と言えば来ます。また部下に“これをしろ”と言えば、そのとおりにします。』イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。『言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。」(ルカによる福音書7章)“霊”にできないことは何もないのである。“霊”は全能であるがゆえに。信じる者に“霊”は働く。信者であるかどうかではなく。信者でなくとも。イエスの弟子でも信者でもない門外漢の百人隊長や「使いに行った人たち」を介してさえ、“霊”は働くのである。しかも遠く離れた所に住む見ず知らずの、信者でもない百人隊長の部下に。
● 真相
“霊”の教えに従っていなかった大幹部たち、すなわち、西川、柴田幹雄、○○らは、教えに従う聖なる民を制圧しようと考えたのである。彼らはひそかに行っていたあの罪の中に、忘却の暗い覆いの中に隠れうると考えた。しかし、彼らは打ち散らされ、恐怖に取りつかれ、幻覚に脅えて馬脚を現した。それは彼らの証言によって明らかにされている。
彼らは自ら真相を露わにした。
彼らは平成7年10月31日、突然、予期しなかった恐怖に捕らえられ、それが彼らを恐怖で金縛りにした。彼らは恐怖から逃れるため、偽りを構築して、正しい者に責任を転嫁することにした。それでも仕返ししないので、彼らは感謝した。そして頭に乗り、自滅した。
一方、罪をかぶって拘留された私に“霊”が臨んだ。“霊”は自らの民を悪者どもの支配から救い出すために、この出来事を起こされたのであることを明らかにされた。“霊”は私たちを導き出して未知の旅の案内者となり、他方、彼らは当然なことに光を奪われ、闇につながれた。“霊”の子らをとりこにしたからである。この子らこそ、不滅の光を世に伝えるはずであった。
“霊”は真相を明らかにし、隠されていたことを明るみに出した。
私は“霊”がなされたこの御業(みわざ)を、畏敬の念をもって宣べ伝える。
“霊”の導きと、西川、柴田、桜井らの脅えによる自滅により、私は目が開かれた。
知恵は私たちを、聖なる預言の手で導いた。私たちは“霊”に導かれて彼らに立ち向かい、打ち破った。そして私たちの目を開いてくださったのである。私が明覚寺の管長になってから事件摘発の平成7年10月31日まで、わずか3ヶ月しかたっていない。そして訴えられているのは、私が管長になる以前のことについてである。
また、私は昭和63年に宗教法人本覚寺に入ったのである。そして真言宗本覚寺派の僧侶となり、後に真言宗明覚寺派の住職となったものである。組織的詐欺集団と知って入ったのではない。
私は教団の中にあって、“霊”の教えを伝えていたのにほかならない。●犯罪事実について
もし宇宙の力と働きに心を打たれるなら、天地を造られた“霊”がどれほど力強い方であるか、それらを通して知るべきである。造られたものの外観に心を奪われないで、心の目(霊の目)を開いてよく見るならば、それらの外観から推し量ってそれらを造った“霊”がみえるはずなのである。ところが、人々は目に映るものがあまりに美しいので、外観に心を奪われてしまうのである。
この真理の“霊”がみえない世間一般の人々は、目の見えない盲目の人にたとえられる。それに対して、真理を知った人は盲目だった人がみえるようになったことにたとえられる。
私は知恵によって目を開かれたのである。
悩みごとの原因は必ずしも「霊障」だけではない。業もあれば、因縁もある。しかし「霊障」が原因となっている場合も確かにあるのである。「霊の声が聞こえる」「肩が重いのですが、霊が取りついているのではないですか」と相談する人々は少なくないし、先の例のように、霊が取りついて悩みごとを抱えている人々もいるのである。
必ずしも、すべての悩みごとの原因が霊障にあるのではない。
ただし“霊”の教える真実を伝えず、“霊”がみえないのにみえると言ったという者は告発されてしかるべきである。
世間一般の人々は、この“霊”をみようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、私たちはこの“霊”を知っている。そして、この“霊”が私たちと共におり、私たちの内にいることも知っている。
そして、この“霊”は全知全能である。この“霊”を知り、この“霊”が共におり、この“霊”が自らの内にいることを知っている者は、霊能が自らの内にあることを知っているのである。それが、“霊”の教えである。
このような“霊”も、“霊”の教えも信じず、自らの内に“霊”がないと確信していながら、「自分には霊能がある」と言っていた者がいたのであれば、その者は偽り者であって、告発されてしかるべきである。
私はこの全知全能の“霊”が共におり、内にいるという真理を教えた。“霊”を信じ、真理を信じた者の祈りに“霊”は応えられ、御業を与えられた。“霊”は御力をもって願いを満たされた。人々は“霊”の御業に感謝し、ささげ物をささげ、たたえた。
“霊”が人々を牧された。“霊”は驚くべきことを示され、人々の目はそれを見た。人々はその御前にひれ伏し、畏れ敬った。“霊”は人々の咎(とが)を除き、罪を赦された。彼らは聖なる方をたたえ、力強い御手を、心を合わせて誉めたたえた。“霊”は彼らを、聖なる手で導いた。彼らが渇きを訴えると、渇きをいやされた。全能のゆえに“霊”はすべての人を憐れみ、存在するものすべてを愛し、何一つ嫌われず、すべてをいとおしまれた。
“霊”はこの出来事を通して、憎むべきもの、忌まわしいものを取り除かれた。この出来事により、私たちの目を開かれた。“霊”が私たちを救い出し、導き、練り上げるために、この出来事を起こされた。“霊”はこう言われる。
「聞き入れようとする者は聞き入れよ。拒もうとする者は拒むがよい。彼らは反逆の家だから」
僧侶たちには、悪霊を追い出す能力があった。悪霊を追い出す法である「護身法」を習得していた。悪霊を追い出すことができるのは、“霊”の息吹が彼らを通して吹くからである。すなわち、霊能を有しているからにほかならない。(略)
私は平成8年2月1日に逮捕され、取り調べが始まった。
取り調べでは、供述調書に署名捺印しないのであればまた僧侶たちを逮捕するしかないと言うので、それならば自分が刑務所に行く方がましなので、署名捺印した。
公判で西川や大幹部や顧問弁護士が自分たちを保身するために、私にあらゆる責任転嫁をしていることがわかった。
私は信仰によって与えられる報いに目を向け、目にみえない方をみて、耐え忍んでいた。
私は事件以前、住職の名義で銀行口座は開設していると教えられていた。
西川は、当然、事実を語るものと思ったが、知らぬふりをし続けた。それどころか、私がそれについて黙していたのをよいことに、私への責任転嫁の嘘を構築していったのである。
私は西川を疑い始めた。それまでは疑おうなどと思ったこともなかった。西川が私を騙していると思ってもみなかったのである。
自らのことを“霊”の御手にゆだねた私に、“霊”が臨み、私の目を開いてくださった。盲目的に西川を信じ込んでいた私の目を、“霊”が開いてくださったのである。そして、“霊”が教えてくださったので、私は西川の正体を知り、西川の言うこととやることが全く別であることを知った。確認してみると“霊”が教えてくれた通りであった。私に命じながら、それと全く別のことを他者に命じ、二筋の道を歩んでいたのである。私は“霊”に教えられて、事実に目が開いたのである。
私は“霊”に教えられて、事実を追求した。そして、周囲の協力で、隠されていた事実が明らかになったのである。
西川は、私に命じたことと別のことを他者に命じていたことを問いただした私に脅え、柴田を追放し、続いて桜井を追放して、一切を私に任せると言い出した。そして柴田、桜井らが隠し持っていた様々の書類が手に入った。これによって更に私の目は開けた。正しい者を陥れる者は、自分の掘った穴に落ちる。
あせった西川は、忘却の覆いの中に隠れうると考え、嘘を構築して、弁護士を説得し、検察を騙し、裁判所を欺いた。
そして、事実を話す私を「病人」ということにした。そうすることで、事実が発覚することを封殺しようとしたのである。● 目が開けてみえた事実と真相
たとえば、平成6年7月20日、21日の会議についても、西川が嘘を構築して逃れようとし、自分の息のかかった証人に西川方針に沿った証言をさせようとすればするほど、私の目は開け、忘却していたことをはっきりと思い出した。
西川が出廷させた証人についても、錦織検事の尋問によって、私の目は開け、西川と証人らの嘘と、事実(真相)とが、はっきりと見えたのである。
また、西川が「平成6年5月から矢野に任せていた」という嘘に、なぜ固執しているのか理解できなかったが、これについても目が開いて、理由がはっきりとわかった。
西川が固執するので当時をよく振り返ってみると、私が4月末に祖母を亡くして一週間から10日ほど教団に不在で故郷に帰っていた間に、西川が全僧侶、職員を上野荒川合名ビルに集めて、3日間ほどにわたって大研修を行っていたことがわかった。そこでどのようなことが行われていたのかわからないが、私が教団に戻ると西川や大幹部らは不在で、私や大塚らを新しく執行に任命したとのことで、彼らはどこかからしばらく様子を見ているとのことだった。(略)
彼らは“霊”の教えを守らず、その教えに従って歩むことを拒み、その御業をことごとく忘れ、愚かで不正な考えのゆえに、民事事件が全面解決すると言って、私と大塚と中井の3人を安心させて別院を任せ、きれいにした上で私たち3人に任せると偽り、教団のそれまでの責任を私たち3人に押し付け、自分たちは責任を逃れて隠れうると考えたのであろう。
彼らは民事の件でマスコミが騒ぎ、当局が介入する恐怖に取りつかれて、幻覚に脅え、その時のために備えて責任回避を考えたのであろう。責任を押しつけながらも、権威作りをし、教団財産の支配を考えたのであろう。(略) 結局、西川は側近スタッフとベテラン僧侶たちを率いて千葉明覚寺へと移り、明覚寺の立ち上げを図り、残された別院グループは私に任され、私は別院の代表として立つことにした。
私は、自分にゆだねられた任務、すなわち“霊”の導きを得て、それまでの教団の災いを終わらせ、“霊”の力によって、任された人たちをそこから脱出させることを決意した。
私は“霊”の御業がどんなに驚くべきものか、よく知っていた。“霊”の計らいがいかに貴いものかを知っていた。宗務総長の本来あるべき任務として、祈りと贖いを自らに課し、僧侶たちに、自分たちは大いなる方=“霊”の僕であり、使いであることを示し、周知徹底した。
もちろん、不法の者らが悪事を謀り、蛇の毒を含んだ舌で私や別院の僧侶たちを騙し、利用し、その行く道に落とし穴を掘っていることなど、知る由もなかった。
別院の僧侶たちもこの時、これで教団の災いは終わる、自分たちは大いなる方の僕であることを示していけると思い、私にそのように話してくれた。
この時、教団に災いが及ぶ道を断ち切っていけるはずであった。
西川もそれを前にして、たじろいだ感じであった。
西川はそれまでの責任を別院に負わせてせきたてるように送り出し、私に任せ、自らは側近スタッフやベテラン僧侶たちを率いて千葉明覚寺に移って行った。
ところが、私を飛び越して大塚らを千葉明覚寺に呼び出して直接別の支持を与えるようになったのである。そして 平成6年10月頃、西川は私を退け、11月から翌年2月3日までの3ヶ月間、「行」に入るよう命じ、再び自ら教団全体を率いた。
西川、柴田の、教団搾取のための罠であり、策略であったとは、全く気づかなかった。
西川は私のことを思ってくれて、私に「行」に入らせてくれたと思い、私は西川に感謝し、西川に一切を任せることになり申し訳ないと思いつつ、「行」に入ったのである。(略)
私は平成7年2月まで「行」を続ける予定で、教団は西川が指揮していた。しかし同7年1月、私は急きょ西川のいる横浜僧侶養成院に呼び出され、「行」の中止を命じられた。(略)
西川には当然の罰が臨んだ。
しかし、この同じ出来事によって、大いなる“霊”は私たちの目を開き、彼らの支配から救い出してくださったのである。
“霊”は、彼らへの罰に用いたその出来事で、私たちを導いて目を開いてくださり、闇の支配から救い出し、私たちは彼らの支配から脱した。私たちは“霊”の神聖な掟を守ることを決めた。それは“霊”に救い出された者たちが、順境も逆境も、心を合わせて受け止めるということである。
私は、私たちを導いてくださった“霊”を信じている。
この書は決して不正を語っておらず、決して欺きを述べていないことを、良心にかけて誓う。私の目を開いてくださった神に感謝いたします。
以上。
平成12年(2000年)8月、高裁判事から私の釈放命令が下り、私は4年半の獄中生活から解放され、大阪南部の「主の聖所」に向かった。主の民は、私を歓迎する準備を整えて待っていたが、主は私に、解放されたその日のうちに主の聖所に戻ってはならない、と言われた。主に定められた日、私は主の聖所に入った。
主の聖所では私の解放を祝う祝宴が開かれた。ところが、その祝宴の席で、ナジル人の誓いを立てていた大阪の教区長の夫婦が、その誓いを軽んじて破っていたことが発覚した。妻は子を宿していて、夫婦は子が産まれるまで、ぶどうの実と、ぶどうの実からとったものを口にしないという誓いを、自ら主に立てていたのである。彼らはその祝宴で、ぶどうの実を何のためらいもなく、口にした。祝宴が終わった後、誓いのことを彼らに問うと、教区長はこの日たまたま喜びのあまり口にしてしまったと言い逃れをしたが、妻は、この日だけでなく以前から二人とも誓いを破っていたことを告白した。妻の告白により、主に赦しを願うことが許されたが、教区長は主と妻に対して怒りを発した。そして教区長は告白しようとはしなかった。教区長の妻は、教区長がこれまで主の嗣業をおろそかにしてきたことも告白し、それを隠していた自身の贖罪を主に願い求めた。
まもなく、この教区長は治癒していた脳腫瘍を再発し、聖所を捨てて去り、東京に行って病院に入院した。