正典・信条・教会はいかに作られたか
ローマ教会が地上の権力を獲得した背景には、重大な1つの布石があった。キリスト教の「正典」の編纂である。初期のイエス信徒は数多くの福音書や使徒たちの指導によって、様々な信仰の形態と、各種の教義をもっていた。「正典」を編纂することによってローマ教会は、それ以外を「外典」「偽典」とし、キリスト教会の中で中心的権力を握ることに成功したのである。
数多くの福音書と、思想、解釈の中から、ただ4つの福音書と、パウロの(盲信して読むのでない限りイエスの教えに反する、首をかしげたくなる部分もかなり多い内容の)手紙の数々と、他のわずかな手紙のみを選択して、その上に、現在に至るキリスト教の信仰形態を建立しようとしたのが、180年頃のリヨンの司教エイレナイオス(イレナエウス)らである。
いったいどういう基準によって彼らは、抹殺すべき文書と、残すべき文書を見分けたのか。そして、そのことが後のキリスト教によって、人類歴史にとって、どういう意味を持ったのかを考える必要がある。
現代のキリスト教は、カトリック、プロテスタント、オーソドックス(ギリシャ正教)の3つに代表される。カトリックは、ローマ帝国の公認宗教となったキリスト教を管理・運営してきた歴史を持つ教団で、ローマ司教を「イエスの代理人」という特別な権限を持つ「教皇」とする。オーソドックス(ギリシャ正教)は、ローマ司教を教皇にする案に反対した東方のコンスタンティノープルの教会が作った教団で、1054年に正式に独立し、自らを「ギリシャ正教会」と称した。現在ではロシアなど東方の国家に普及している。プロテスタントは、マルティン・ルター、ジョン・カルヴァンらの宗教改革運動(1517年より開始)を契機にできていった教団で、カトリックが教皇に最高権威を認めるのに対し、聖書に最終権威を置く。そして聖書のどの箇所に重点を置くかによって、数多くの教派が生まれている。
ほとんどすべてのキリスト教徒は、カトリックであれ、オーソドックスであれ、プロテスタントであれ、3つの基本的前提の上に立っている。第1に新約聖書の正典を受容していること、第2に使徒的信条を告白していること、第3に教会制度という特定の形態を肯定していることである。
これら聖書の正典、信条、教会制度が、現在の形で現出したのは、ようやく2世紀の末になってからのことであった。それ以前には、無数の福音書がさまざまなキリスト教集団に
流布していた。新約聖書に収められている『マタイ』『マルコ』『ルカ』『ヨハネ』の福音書から、『トマス』『フィリポ』『ペテロ』『マグダラのマリア』の福音書、さらには福音書以外の諸文書が存在した。
イエス信徒と自認していた人々は、多様な、そして根本的に異なる、それぞれの信仰と儀礼を守っていた。有名な殉教者ユスティノスも、当時は4福音書よりも『ペテロ福音書』の方が重視されていたと書いている。
しかし、紀元200年頃に状況が一変する。キリスト教会の指導者は、司教・司祭・助祭という3段階の聖職位階制を頭とする制度をつくり、聖職者は自らを唯一の「真の信仰」の擁護者とした。とりわけ、多数派であったローマの教会は、他のすべての見解を異端として退けた。初期のキリスト教の多様性を嘆いた司教エイレナイオスとその信奉者たちは、「存在し得るのは唯一の教会のみ」と主張し、自分たちの教会以外には「救済はない」と
宣告した。
『マルコ』を尊崇する一派や、『ルカ』『マタイ』を尊崇する一派と同様、『トマスによる福音書』を尊崇していたトマス派キリスト教徒たちは、1世紀を通じて教勢を誇っていた。『トマス』に登場するイエスの言葉には『ルカ』や『マタイ』と共通するものも多く含まれていたが、共観福音書とは明らかに別の系統に属する言葉も含まれていた。シリア語で書かれたと思われる『トマス言行録』(200年頃)によれば、トマスはインドまで宣教に赴いたという。実際、トマスを始祖と仰ぐトマス派キリスト教徒が今でもインドにいる。
『トマス』は書いている。「イエスに受肉した神の光は全人類が共有している。なぜなら私たちはみな『神の似姿』に作られたからである」と。これはイエスを神のひとり子とする『ヨハネ』と対立する見解である。マルコの同時代人たちは、イエスを人間とみなしていた。聖霊の力を与えられ、神の王国を
招来する役割を与えられた、人間であると。しかし、『マタイ』『マルコ』『ルカ』に『ヨハネ』およびパウロの書簡などを加えた新約聖書が作られると(この作業は160年頃〜360年頃まで約200年以上が
費やされた)、ほとんどのキリスト教徒は、『マルコ』『マタイ』『ルカ』の3つの福音書を『ヨハネ』という色眼鏡を通してみるようになったのである。
新約聖書の中に収められている4福音書の中で最も古いのが、イエスの死の40年ほど後(紀元70年頃)に書かれた『マルコ』である。『マルコ』は、イエスは何者かという問いを発し、そして見出している。
「イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、『人々は、私のことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。『“洗礼者ヨハネだ”と言っています。ほかに、“エリヤだ”と
言う人も、“預言者の1人”と言う人もいます。そこでイエスがお尋ねになった。『それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか』。ペトロが答えた。『あなたは、メシアです。』」(8・27〜29節)
このときペテロは、イエスをメシア(「油注がれたる者」の意)、すなわちイスラエルの王と認識していたのである。イスラエルの戴冠式では、王になる者は油を塗られ、「彼は神の代理人、生ける『神の子』となる」と宣言される。ゆえに、『マルコ』冒頭にある「これはメシアにして神の子であるイエスの福音である」の意味は、神がイエスをイスラエルの王と定めた、という宣言である。『マルコ』はギリシャ語で執筆したので、ヘブライ語のメシアをギリシャ語でキリストと訳した。この言葉が後に、「イエス・キリスト」となる。
『マルコ』では、イエスはまた自らを「人の子」と述べているが、「人の子」とは「人間」以外の何者でもない。たとえば預言者エゼキエルによれば、主は何度もエゼキエルに「人の子よ」と呼びかけている。ただ、ヘブライ語聖書に親しんでいたマルコの同時代人は、「人の子」といえば預言者ダニエルの書に登場する神秘的な人物のことを思い浮かべたかも知れない。
『マルコ』によれば、祭司長カヤパはイエスを尋問し、「お前は神の子、メシアなのか」と尋ね、イエスは「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」と応えている。つまり、イエスは単にイスラエルの王を主張しただけでなく、ダニエルが天上の神の玉座の前に見た「人の子」であることを
示唆したのである。
後にルカは、イエスを単なるメシアから「主」へと格上げしている。さらに『ルカ』よりも10年ほど後に執筆したヨハネは、その福音書の冒頭で、イエスが全く人間ではなく、神の言葉が人間の形を
採ったものである、と記す。その50年ほど前にパウロは、イエスとは「神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとはせず、かえって、僕の身分になり、人間と同じなられました」(フィリピの信徒への手紙)と記している。
『ヨハネ』や『トマス』が書かれてから約80年後、西暦190年頃に、北アフリカのカルタゴで活躍した改宗者テルトゥリアヌスは、ローマ帝国の全土でキリスト教徒が暴力の標的となっていることを嘆いていた。当時のローマ帝国ではキリスト信徒はカルトと見られ、「人肉を食い、血を飲む集団」という噂も立てられていた。実際に、犯罪が行われた証拠が見いだせなくても反逆罪の疑いをかけられ、処刑された。しかし、暴力を受ければ受けるほど、キリスト信徒たちはローマ帝国の至る所に増殖していった。テルトゥリアヌスはこれを見て勝ち誇ったが、このことは、彼をはじめとするキリスト教指導層の直面していた問題を解決したわけではなかった。むしろ、極めて多様なキリスト教の形態が、ローマ帝国中に広まっていったのである。キリスト教指導層の直面していた問題とはすなわち、いかにしてこの多様かつ広範囲な運動をまとめ、強化し、敵に対抗して生き残っていくか、という問題であった。
テルトゥリアヌスより年下のエイレナイオスは、リヨン(ガリア=現在のフランスの都市)の司教と呼ばれるが、キリスト教の諸教派を分裂させている厄介な問題に直面していた。彼は少年時代、師のスミルナ(現在のトルコのイズミル)の司教ポリュカルポスの許に身を寄せていた。エイレナイオスは師と同様、全世界のキリスト教徒が「カトリック」と呼ばれる唯一の教会の一員となる日を夢見ていた。「カトリック」とは「普遍的」を意味する。
ポリュカルポスやエイレナイオスは、トマス派キリスト教徒を糾弾した。彼らの教えていることはしばしば、自分たちが教わったことと違っていたからだ。彼らは互いに、自分の実践しているものこそが真のキリスト教であると信じていた。なぜならポリュカルポスは、ヨハネすなわち「主の弟子」自身を通じて直接イエスの教えを聞いた人物であり、トマス派キリスト教徒はトマスから直接イエスの教えを伝承していたのだから。
『ヨハネ福音書』を書いたのは、「12使徒のヨハネ」本人であると信じていたエイレナイオスは、この福音書の最初の擁護者となり、これを『マルコ福音書』『マタイ福音書』『ルカ福音書』に結合させた。エイレナイオスは、この4つの福音書は共同的に、かつこれらのみが排他的に、完全な福音書を構成していると主張し、これを「4書から成る福音書」と呼んだ。エイレナイオスによれば、この4つの福音書だけが神による人類救済を示す出来事を直接目撃した人によって書かれたものなのである。この4つの福音書正典は、エイレナイオスの目論見にとって強力な武器となり、それ以来、現在もなお正統教義の基盤となっている。
168年の冬、ポリュカルポスはローマの守備隊に捕えられ、総督命令により皇帝ゲニウス(皇室の神)への信仰を誓うこと、キリストを呪うこと、「無神論者(キリスト教徒)を除け」と言うことを命じられたが、これを拒絶したため闘技場に連れ出された。そこで彼は群衆に対して
拳を突き出し、「無神論者を除け」と叫んだが、彼は柱に縛り付けられ、生きたまま焼かれた。
ローマでは、ローマ人がキリスト教徒を迫害するのみならず、キリスト教徒が、別のキリスト教徒を迫害していた。キリスト教徒に迫害されていたのは、「霊に満たされた」新預言と呼ばれる信仰復興運動に加わった人々であった。
エイレナイオスは初め、キリスト教徒が新預言への迫害を止めるよう説得する手紙を携えてローマ入りしたが、ローマ入りしたエイレナイオスを待ち受けていたのは、至る所で彼の福音書理解に異議を唱える党派や宗派だった。エイレナイオスの目には、それは危険な
異端と映った。エイレナイオスは、教養あるキリスト教徒の間でも同じ方向へ行く者が増加していることを知って苦悩した。
ローマからガリアに戻ったエイレナイオスを待っていたのは、迫害によってばらばらに散っていたキリスト教徒の共同体の姿だった。彼らはいくつもの党派を結成していた。そのすべてが、自分たちは聖霊から霊感を受けていると主張していた。
このようなキリスト教諸団体のあらゆる主張をまとめ上げ、何らかの秩序をもたらすためにはどうしたらよいのか、エイレナイオスは思案した。
そもそもキリスト教も、キリスト教の母体であるユダヤ教も、幻視と啓示によって始まり、幻視と啓示によって導かれた宗教であり、もしもそれがなければ、そもそもユダヤ教もキリスト教も始まっていなかったであろう。現代でも、ペンテコステ派と称する人々は、あらゆる人々に聖霊が降臨することに共鳴している。ローマの新預言派や霊的キリスト教徒も、同様であったろう。しかし彼らに敵対するキリスト教徒たちは、「本物の幻視と啓示は使徒時代の終焉と共に終結した」と説き、それ以後のあらゆる啓示を拒絶せよ、と説いた。
エイレナイオスは、他の数多くの福音書や諸文書を封印し、ただ4つのみを残そうと決意した。彼は大胆にも宣言した。すべての真実を含む「福音」は、ただ『マタイ』『マルコ』『ルカ』『ヨハネ』のみによって支えることができる、と。そして、この選別の擁護として、それは「4よりも多いことも少ないこともありえない」、なぜなら「宇宙には4つの領域があり、4つの風がある」、ゆえに教会それ自体も「4本の柱のみ」を必要とするのである、とした。さらにまた、預言者エゼキエルが神の玉座を支える4つの生き物をみたように、聖なる神の御言葉もまた、この「4書から成る福音書」によって支えられる(この彼の見解にしたがって、後のキリスト教徒はこの4つの生き物、すなわち
獅子・雄牛・鷲・人間の顔を4人の福音書書記の象徴とした)。彼は言う、これらの福音書を信ずべきものとしているのは、その書記の中に、イエスの弟子であるマタイとヨハネが含まれており、実際にここに書かれた物語の証人となっているからである、と。同様に、マルコとルカはペトロとパウロの弟子であり、使徒自身から聞いたことのみを書き記している、と。
今日の新約学者の中で、エイレナイオスに賛同する者はほとんどいない。そもそもこれらの福音書は、『トマス福音書』や『マグダラのマリアの福音書』と同様、実際には誰によって書かれたものなのかは、まったく判っていないのである。
さらにエイレナイオスは『ヨハネ福音書』を、『マタイ福音書』や『ルカ福音書』に結合し、『ヨハネ福音書』こそが最高の福音書であると述べている。しかも、数多くの福音書を排除しながら、イエスの12使徒ではなかったパウロの手紙を数多く新約聖書に入れることにした。パウロの弟子であったルカの手になる福音書と使徒言行録、パウロ派のマタイの福音書、パウロの14にもわたる手紙、そしてヨハネの福音書と手紙と黙示録は、新約聖書がほとんどパウロ派の書物であることを示している。12使徒の名を冠する福音書や手紙がことごとく排除され、使徒でなかった者たちの手になる文書を中心にして、こうして180年頃には「新約聖書」が成立したとされている。
12使徒やその母たち、マグダラのマリアは、イエスの生存中とその死後40日間にわたって実在のイエスを体験しているが、パウロはそうではない。ルカによれば、パウロは、初めは劇的な幻の中で、後には夢うつつの状態で、イエスに出会ったという。しかしルカの記載は、この話が12使徒によって証言された出来事とは比較にならないものであることを示している。第1に、これが12使徒に含まれない者に起ったこと。第2に、これらのことはイエスの昇天後にのみ起こったこと。第3に、幻や夢うつつの状態で見たイエスというのは、12使徒の体験とはまったく異なっていることである。イエスの生涯を通してイエスを知っていた12使徒だけが、事実を証言することができ、死者が完全に肉体的存在として彼らの前に甦ったことを事実として証言することができたのである。
人類始祖のアダムとイブは、善悪を知る木の果実を取って食べ、その場で即座に死ぬことはなかったが、後に神が言われた通りに死に、そして甦ることはなかった。以降、すべての人間は必ず死んだ。しかし、イエスは甦ることなどあり得ない徹底的に痛めつけられた肉体を十字架に掛けられて息絶えたが甦った。これは「死ななかった」ということでもある。人類歴史上、これほどの重大事件はない。なぜなら、これは堕落しなかったアダムを示し、新しい人間始祖を示しているからである。
しかし、新約聖書は、イエスを実体験しなかったパウロが幻や夢うつつで見たイエスや、聖霊の降臨ということを重視してしまっているため、その重大な事実を覆い隠す格好になってしまった。イエスに続く者たち=キリスト者は、死後の昇天に救いを求めるようになっていく。そして、神、イエス、聖霊の存在を、実在体験ではなく論議していくことになる。こうして、聖書の中で、「父(なる神)」と「子(なるキリスト)」と「聖霊」とが併記され、230年頃にはカルタゴの教父テリトゥリアヌスが初めて「三位一体」という表現を用いる。しかし、三位一体を実在体験して証明できる者は、誰一人として存在していない。つまりこれは、実在ではないかも知れない「三位一体」という存在を、人間が勝手に空想したと言われても仕方がない。空想を信じることが信仰だというのであれば仕方がないが、それはイエスを実体験した使徒たちとの信仰とは異なる別の信仰である。使徒たちのそれは事実として証明されていることだから「
証し」と呼ぶにふさわしいが、事実としての証明がないものは「証し」とは呼べない。
エイレナイオスの時代から今日まで、教会指導者たちは信者全員に「4書から成る福音書」と「使徒ではないパウロの手紙」を強制しようと
躍起になってきた。キリスト教指導層によって認められるすべての「啓示」は、後に新約聖書の中に収められる4つの福音書とパウロの手紙の内容に適合することが必須となった。今日に至るまで、伝統的な考えのキリスト教徒は、何であれ正典のガイドラインを犯すものは「虚偽と邪悪」であり、人間の心の悪、もしくは悪魔に由来するものと考える。
昇天後の救いというパウロ派の信仰は、イエスの十字架による罪の贖いという思想とあいまって、殉教者の死が罪の赦しを得るという思想を生んでいく。イグナティオやテルテュリアヌスといった「正統派」のキリスト教父は、イエスが十字架上で血を流したことと
殉教者の死を結び付け、殉教者がその血を与えることにより、その交換に神から赦しを得、永遠の命を買うことになるという。彼らは殉教を神への
献げものとみなし、神は「人間のいけにえ」を欲しているとさえ考える。そして、そのことにより殉教者は確かに天に昇ることを知っているとし、それを堅く信じているという。
彼らは惑わされて、イエスは彼らと死すべき運命を共にしていると思い込んでいたが、実際には、イエスは心的力に充ちているので、受難と死には異質な存在であった。
殉教を美化する者たちが好んで引用する「義のために迫害される人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイ5・10)は、イエスの言葉の誤訳である。迫害と訳された元のヘブライ語「ラダフ」には、迫害の他にもうひとつ「追い求める」の意味がある。そして、イエスが語る「天の国」は死後のものではなく、イエスと共にあることである。「義」という訳も分かりにくいが、ヘブライ語の意味は「救い」「贖い」とう意味である。そして、イエス(ヘブライ語でヨシュア)の名の持つ意味も「救い」「贖い」である。つまり、この言葉は正しくは「義(救い、贖い)を追い求める人々は幸いである、天の国(イエス集団)はそういう人たちによって成る」。
神は人間のいけにえなど求めてはいない(イザヤ1章・66章、エレミヤ7章・14章)。人間の死を望み、喜び、そこに向かわせたいのは、アダムとイブの原初から、悪魔にほかならない。神とイエスと聖霊が望んでいるのは、人間が死なないようになること、生きながらに死者となっている人間が生きるようになることである。
神は死を忌み嫌っておられるのである。
ちなみに、マタイ福音書には誤訳と見られる箇所が多い。これはマタイの著者自身がヘブライ語をよく理解していない者であった可能性を示唆している。マタイ福音書のイエスの言葉は、ヘブライ語に変換して訳し直してみると、本来の意味が判明する。たとえば、難解だとされる「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(マタイ5・3)も、ヘブライ語に訳し直すと「心の砕かれた人々は幸いである、天の国はその人たちによって成る」となる。神が「心の砕かれた」人々を救われることは、旧約聖書で何度も預言されている。イエスは、「心が砕かれた」人々が救われる「とき」=天の国が到来したことを告げ、旧約聖書で預言された「人の子」の到来を示したのである。