666の獣の正体


 聖書の『ヨハネの黙示録』には、終わりのときに2匹の獣が登場して人々を惑わし、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配し、天地創造の時から、ほふられた子羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう、と預言されている。この獣は反キリストとも、「六百六十六の獣」とも言われている。

「わたしはまた、もう1匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、子羊の角に似た2本の角があって、竜のようにものを言った。この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。第2の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべて者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印がある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」(ヨハネ黙13・11〜18)

 獣の刻印を押されるのが右手か額なのは、かつて出エジプトの際に神が、主の民が守るべき律法を手と額に記すよう命じたことを真似るのである。獣の刻印は、律法ではなく獣の名、あるいはその名の数字であり、数字は人間を指しており、その数字は六百六十六であるという。そして獣の数字にどのような意味があるかを知るには「知恵」が必要であるという。
 聖書で言う知恵とは、聖書以外の知識によってではなく、「聖書の知恵」に他ならない。「六百六十六」という数字は、ヨハネ黙示録の他には旧約聖書のソロモンに関する箇所にしか登場しない。それが登場するのは『列王記(上10・14)』と『歴代誌(下9・13)』の2箇所だが、どちらも同じことについて書かれていて、それは、ソロモンの歳入が金六百六十六キカルであったという記事である。そして、ソロモンが金六百六十六キカルの歳入を集めたメギドの丘こそが、黙示録に登場する「ハルマゲンドン」なのである。ハルマゲドンについては、ヨハネ黙示録16・12〜16にこう記されている。

「第6の天使が、その鉢の中身を大きな川、ユーフラテスに注ぐと、川の水が枯れて、日の出る方角から来る王たちの道ができた。わたしはまた、竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、蛙のような汚れた3つの霊が出て来るのを見た。これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。それは、全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。 −見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。− 汚れた霊どもは、ヘブライ語で『ハルマゲドン』と呼ばれる所に、王たちを集めた。」(ヨハネ黙・16・12〜16)

 ハルマゲドンとはイスラエルの「メギドの丘」のことで、このメギドは旧約時代に北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂していた時代に、南ユダ王国の王ヨシヤ(ヨシュア、イエスとも読む)がエジプトの射手に撃たれて命を落とした場所である。
ヨシヤ王は、長年にわたって偶像崇拝に堕ちていた南ユダ王国に「主の律法」を復興させた善王として記録されている人物である。ヨシヤ王は、祭司ヒルキヤが主の神殿で「主の律法の書」を見つけたことをきっかけに主の律法を復興したのであるが、そのとき「イスラエルとユダの『残っている者』のために、主の御旨を尋ねに行け。」と命じ、祭司ヒルキヤらは女預言者フルダのもとに行った。フルダは主の神殿の衣装係シャルムの妻であった。彼女の言葉に従ってヨシヤ王は南ユダ王国に主の律法を復興させたのである(歴代誌下34・1〜33)。
 ヨシヤ王は後に、カルケミシュという国を攻めようとして上ってきたエジプト王ネコの軍隊を迎え撃つために出陣する。エジプト王ネコは使いを送って「ユダの王よ、わたしはあなたと何のかかわりがあろうか。今日攻めてきたのはあなたに対してではなく、わたしが敵とする家に対してである。神はわたしに急ぐようにと命じられた。わたしと共にいる神に逆らわずにいなさい。さもなければ、神はあなたを滅ぼされる。」と言った。しかし、ヨシヤ王は引き返さず、攻撃のために「変装」して出陣し、神の口から出たネコの言葉を聞かなかった。そして彼はハルマゲドン(メギドの丘)の戦いで撃たれて死ぬのである。この事件についても『列王記』と『歴代誌』にその記載がある。
 「エジプトの王ネコの口から出た神の言葉を聞かず」という記述に頭をかしげるかも知れない。しかし、神は主の民のために、敵にさえ臨まれることがあることが、聖書にはいくつも記載されている。神ご自身が禁じておられる霊媒者に神の言葉が臨んだこともあるし、預言者イザヤをとおして神は、ペルシャ王クロス(バビロンに捕囚されていたイスラエルの民を解放した)に油を注がれている(イザヤ45・1、エズラ1・1〜4)。「油を注がれた者」のことを「メシヤ」という。つまり、ペルシャの王クロスは、メシヤということになる。ものごとの表面しか見えない目では、これを理解することは難しい。ただ、一見、異教徒に見えて実は真の神を信仰している人物がいたとしても不思議ではない。また、神を信仰する人物が、異教の国を支配していることもあった。イスラエルの12部族長の1人であったヨセフはエジプトの宰相であったし、モーセもエジプトで同じような立場にあった。ダニエルはバビロニアの総督であった。主イエスは、モアブの女の子孫であり、ガリラヤから出て、そのことを非難された。再臨主がキリスト教から出ると信じて疑わないクリスチャンたちも、目が開いていないと言うべきであろう。
  
 さて、ヨシヤ王が撃たれたメギドと、ヨハネ黙示録のハルマゲドンとが、どう結びつくのか。黙示録のハルマゲドンの記述に挿入されている言葉に、重要な鍵が隠されているのである。そこには、この言葉が挿入されている。「 −見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。− 」と。
 挿入されているのは、福音書でイエスが語っている言葉と同じ言葉であり、ヨハネ黙示録3・3のサルディスにある教会の天使に書き送られた言葉でもある。サルディスとは単なる地名のみならず、ギリシャ語で「残りの者たち」を意味する。そしてヨハネ黙示録3・3では、この言葉の後に「少数の白い衣を着せられる者たち(勝利者)」のことが記されている。
 ヨシヤ王は、イスラエルとユダの『残っている者』のために、主の神殿の衣装係シャルムの妻である女預言者フルダの言葉に従って主の律法を復興させた。黙示録では「残りの者たち」のうち少数に白い衣が着せられる。
 ヨシヤ王はその後、エジプトの王ネコの口から出た神の言葉に従わず、「変装」してメギドに出陣して撃たれた。黙示録では、竜の口から、獣の口から、偽預言者の口から、汚れた3つの霊が出て来て、神の大いなる日の戦いに備えて全世界の王たちをメギドに集める。彼らは「変装」している。世界中のほとんどすべての人たちが彼らを拝み、物を売り買いするために右手か額に彼らの刻印(六百六十六)を受けている。彼らを拝まない者は皆殺しにされ、刻印を受けない者は物を売り買いすることができない。しかし、「残りの者たち」のうち少数は、目を覚ましていて、変装ではなく衣を身に着けているので、勝利することができるのである。

 目を覚ましていない者は、偽者の変装に気づかない。目を覚ましている残りの者のうちの少数は気付く。変装した者たちはハルマゲドンに集結する。目を覚ましていて、神に与えられた衣を身に着けている者たちは、彼らの変装を見破る。目を覚ましていないために変装に気付かず大淫婦に属している多くの者たちは、竜や獣と共に滅びに至る。それが六百六十六の数字の名を解き明かす鍵なのである。

 ソロモンが金六百六十六キカルの歳入を得るために、ツロの王フラムと同盟したことが、『列王記』と『歴代誌』に記載されている。ダビデが統一したイスラエル王国を整備するに当たり、ソロモンはティルスと同盟したが、これが命取りとなった。ツロの王フラムの支配下にあったティルスやシドン(古代フェニキアの海港都市)は当時最高の建築技術と卓越した彫刻・装飾技術を持っていた。ティルスのフラム王は、傑出した知識と技術を持っていた石工の頭フラム(ヒラム・アビフ)と3306人の技術者をソロモンのもとに送り込んだ。この石工の頭フラムが、神殿建設の最高責任者として建築全般の管理を任され、神殿とソロモンの王宮を造営し、そのすべての建築的装飾や神殿内部の装飾を手がけたのである。彼は技術者たちを「親方」と「職人」からなる小集団に組織化し、合言葉や符牒を使用させ、神殿と王宮を完成させた。
 ソロモンとフラムが完成させたのは神殿や宮殿だけではない。神殿や宮殿は、中央政庁制度を導入するにあたっての象徴的な存在であった。それを完成させるために、ソロモンは周辺諸国を従属民として支配し、貢物だけでなく永続的な徴税組織を必要としたのである。そうして確立した徴税制度によって、金六百六十六キカルの歳入を得たのであり、金六百六十六キカルの歳入を徴収した場所こそがメギドの丘=ハルマゲドンなのである。

 フラムの父はティルス(ツロ)人で青銅工芸の職人であり、母はダン族(イスラエル人)である。ティルス人はフェニキア人で、ノアの息子ハムの子カナンの末裔である。ハムの子カナンは、ノアに「カナンは呪われている(共同訳聖書では「カナンは呪われよ」と誤訳されている)」と言われた子である。ノアにこう言わしめたのは、ハムこそが、ノアを酔わせて「着物」をはぎ取って裸にした張本人だからである。ちなみに、神に反逆する塔のある町バベルを建設したニムロデもハムの子孫である。ティルス(ツロ)の王については、エゼキエル書やイザヤ書で、はっきりとサタンと同一視されている。さらに、「フラム」という名は、彼がイスラエルの初代の王サウルと同じベニヤミン族にも属する者でもあることを示している(歴代誌上8・5)。
 フラムの母方のダン族については、創世記にヤコブの言葉が記載されている。ヤコブはダン族についてこう言っている。「ダンは、道端の蛇。小道のほとりに潜む蝮(まむし)。馬のかかとをかむと、乗り手はあおむけに落ちる。主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む」(創世記49・17)。
 つまり、ティルスは「まむしの子」にほかならない。しかしソロモンは、このツロ(ティルス)のフラムをエルサレム神殿建設の中心人物に任命した。1756年版『フリーメーソン憲章』によれば、ソロモン神殿の建設に際しフリーメーソンの伝統に従って、ツロ(ティルス)の王ヒラムとソロモン王との間で最高会議が創られた。これが唯一のグランドマスターとマスターロッジの起源であるという。ソロモン王が不在の場合は神殿建設の最高責任者であるフラム(ヒラム・アビフ)を代理グランド・マスターに指名し、不在でなくとも首席大首長として、2人の王と同等の権力と尊敬を付与されたという。彼らは中世にはキリスト教の大聖堂、修道院、宮殿などの建築、増築、修復などのプロジェクトを担い、教会をあらゆる偶像でまみれさせ、その偶像や建築の技術にまつわる秘密を伝達する集会所として『ロッジ』に集まり、その活動拠点とした。

 さて、フラム(ヒラム・アビフ)が造営したこのソロモン神殿(エルサレム神殿)が、何とも不可解な神殿なのである。かつてイスラエルの民が神の手によってエジプトから導き出された際、モーセが神の山に登っている間、民はモーセの帰りが遅いと言って神を不信し、金の子牛の像を造って神としてあがめた。これを知ったモーセは山から降り、民の有り様を見て怒り、神から授かった十戒石版を投げて砕いた。モーセは神に従う者を呼び集め、集まらなかった者はすべて滅んだ。ところがソロモン神殿は、神のために造営されたはずなのに、祭具の1つである洗盤の支えに12頭の牛の像が据えられた。これを造ったのがティルスのフラムなのである。

「フラムは壺、十能、水盤を作って、ソロモン王のために神殿でしようとした仕事を終えた。彼が作ったものは、2本の柱、柱の頂きにあるある柱頭の玉2つ、(中略)また台車を作り、その台車に乗せる洗盤を作った。また『海』1つ、それを支える12の牛の像、それに壺、十能、肉刺しを作った。職人の頭フラムはソロモン王のため、すなわち王の神殿のために、求めに応じてこのすべての祭具を作った」(歴代誌下4・11〜16)。

 神殿の偶像はこれだけではない。神殿のありとあらゆるところに偶像が建てられた。ソロモンは、前半生は神に忠実だったが、後半生には多数の異邦人の妻や妾をめとり、彼女たちのために、ありとあらゆる偶像を造った。ソロモンの妃や妾たちはエジプトの女神イシスや、フェニキアのバアル神などを持込み、自分が崇める偶像を神官たちに祭祀させ、崇めさせた。ソロモンとイスラエルの民は偶像崇拝の罪を犯し、ソロモンの息子の代にはイスラエル王国は南北の2国(北イスラエル王国、南ユダ王国)に分裂する。12部族のうち10部族が領する北イスラエル王国をヤロブアムが治め、ソロモンの子レハブアムは2部族の南ユダ王国を治めた。ヤロブアムはエルサレム神殿に対抗してベテルとダンに金の子牛を安置して礼拝させ、ベテルに神殿を建てた。
 両国は争い、互いの勢力をそぎ合い、国力を減少させていった。やがて小国に過ぎなくなった両国は、王の堕落もあって、金の子牛を崇拝した北イスラエル王国がまずアッシリアに滅ぼされ、続いて南ユダ王国も神を頼まずエジプトやアッシリアに頼っている間にバビロニアに滅ぼされた。主の民の王国が滅んだ原因となった偶像崇拝について、バビロニアに捕囚された預言者エゼキエルは神殿内でも偶像崇拝がなされていたと記している(8・1〜18)。預言者イザヤや預言者エレミヤも、王や民がありとあらゆる偶像崇拝をしていたことを記している。

 このティルスのフラムこそ、フリーメーソンの始祖である。フリーメーソンとは英語で「自由な石工」という意味だと一般に知られている。これは中世の石工の組合の名残(なごり)だと説明されるが、フランス語ではフランマッソンといい、これは「フラムの子」という意味である。もし、フランス語で「自由な石工」と言うなら「リベルタメイソン」と言わなければならない。彼らは、1000年頃にキリスト教会にローマや古代ギリシャの偶像様式を混ぜ合わせたロマネスク様式の教会を造った修道士や中世の石工や建築家たちの組合として知られた。当時は、聖母マリア崇拝や異教の女神崇拝が隆盛した時代で、彼らはこれを「石による信仰」として取り入れ、ゴシック建築を隆盛させ、「キリスト教の偶像神殿」を建設していった。
 この石工組合に入門した石工は、徒弟、職人、親方という身分を経て技能や知識を身につけた。徒弟は現場から現場へと渡り歩きながら職を身につける「ツール・ド・フランス」と呼ばれるフランス巡礼修行を行い、熟練の「職人」から指導を受けた。そして必要なレベルの技術が身につくと、「カイエンヌ」と呼ばれる秘密の会議で、親方から秘伝を授けられた。そして、この「石工の組合」はやがてエルサレム神殿を建造したソロモンにちなんで、「ソロモンの子ら」と呼ばれるようになった。「ソロモンの子ら」とは、フランスのゴシック様式の教会を建設した石工組合の名である。
 しかし、ソロモンが建造したとされるエルサレム神殿を実際に建造したのは、「フラムの子ら」と呼ばれる石工たちであった。フラムとその石工たちは、ソロモンの神殿に偶像崇拝をまぎれ込ませ、やがてソロモンは偶像崇拝の罠に陥り、イスラエルは滅びの道を歩むようになった。同じように彼らは、キリスト教の教会に偶像崇拝の罠をまぎれ込ませた。彼らによって建造された教会の多くは、かつてローマ神のジュピターやゼウス、軍神マルスを礼拝する神殿が建てられていた場所であり、彼らの建造した教会は同じように偶像とシンボルが施されている。

 「ソロモンの子ら」と呼ばれる石工組合の真の姿は、「フラムの子ら」である。彼らの創始者であるフラム(ヒラム・アビフ)はソロモン王宮建築の後に殺されたが、いつの日か復活すると信じられており、それが彼らにとっての「救世主」に当たる。このフラムという名は、ティルスの王の称号でもある。
 ティルスについてエゼキエル書27〜28章には、エデンの園にいた「あるべき姿を印章としたものであり、知恵に満ち、美しさの極み」であったケルブ、ケルブ (天使)であり神に反逆して神の山を追われたケルブ、すなわち堕天使(蛇、竜)と同一視して記されている。また、ティルスとフラムは、あらゆる航海や貿易により富を得たことが記されている(ソロモンとフラムが同盟関係であることに注意)。
 ここでは、ティルスについて「あるべき姿を印章とした」と書かれている。あるべき姿とは本来の姿のことであり、堕落した彼はすでに本来の姿を失っている。つまり彼は、あるべき姿を装い(変装)、それを印象(シンボル)とするのである。「ヨハネ黙示録」に書かれている「六百六十六の獣の印」は、堕天使が「あるべき姿」を装ってそれを印章(シンボル)とするということである。そして、その印章とは「明けの明星」である。イザヤ書には、バビロンについてこう書かれている。

「ああ、お前は天から落ちた、明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた。もろもろの国を倒した者よ。かつて、お前は心に思った。『わたしは天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の山の果ての山に座し、雲の頂に登って、いと高き者のようになろう。」(イザヤ14・12〜14)

 堕天使である竜(蛇)は、その代理人に偽りの衣をまとわせて変装させ、主イエスと称する偶像を作って、明けの明星をシンボルとするのである。そして、その信徒や諸国民に、六百六十六の獣の印を付ける。では、その印とは、どのような印なのか。その答えは、預言者エゼキエルの書で解くことができるようになっている。

「主の言葉がわたし(エゼキエル)に臨んだ。『人の子よ、ティルスの王に対して嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。主なる神はこう言われる。お前はあるべき姿を印章としたものであり、知恵に満ち、美しさの極みである。お前は神の園であるエデンにいた。あらゆる宝石がお前を包んでいた。ルビー、黄玉(こうぎょく)、紫水晶、かんらん石、縞めのう、碧玉(へきぎょく)、サファイア、ざくろ石、エネラルド。それらは金で作られた留め金で、お前に着けられていた。それらはお前が創造された日に整えられた。
 わたしはお前を、翼を広げて覆うケルブとして造った。お前は神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いていた。お前が創造された日から、お前の歩みは無垢であったが、ついに不正がお前の中に、見いだされるようになった。お前の取り引きが盛んになると、お前の中に不法が満ち、罪を犯すようになった。そこで、わたしはお前を神の山から追い出し、翼で覆うケルブであるお前を、火の石の間から滅ぼした。お前の心は美しさのゆえに高慢となり、栄華のゆえに知恵を堕落させた。わたしはお前を地の上に投げ落とし、王たちの前で見せ物とした。」(エゼキエル書28・11〜17)

これは、神が創造したケルブが「取り引き」を盛んにするようになって自身の中に不法が満ち、罪を犯すようになって、エデンにいた蛇となり、その蛇が地上に落とされて、ソロモンと同盟していたティルスの王と一体化していたことを預言しているものである。彼はその後も常に地上で「取り引き」を盛んにする者と共にあり、「取り引き」によって富を掌握し、富によって世の人々を支配している。彼のあるべき姿はケルブ(最高位の天使)であり、それを印象としたものとは、何か。ケルブは6つの翼を有している。その姿を印章としたのが六芒星であり、六芒星を自らの印章に用いたのがソロモン王であった。ソロモンが印章とした六芒星は堕落したケルブ=蛇の6つの翼であり、それは「ソロモンの印章」と呼ばれている。そしてこの印章は、「フラムのこら」が再建した現在のイスラエル国の印章とされ、国旗に採用されている。この印象はまた、「フラムの子ら」が建国したアメリカの「建国の絵画」の背後に、旗を六芒星に模して描かれてもいる。



 ヨハネ黙示録の、終わりのときに獣が押す印というのは、実際に右手か額に刻印されるのだろうか。実は、必ずしも、そいういうことではない。黙示録には、獣がこのことをする前に、生ける神の刻印を持った天使が、神の僕の額に神の刻印を押すことが書かれているのである。生ける神の刻印は、巻物の6つ目の封印が開かれた後、7つ目の封印が開かれる前に、神の僕らの額に刻印される。そして、第7の封印が開かれてから天使たちが7つのラッパ(角笛)を吹いて、ラッパが1つずつ吹かれるごとに大災害や大戦争が起こり、最後の7つ目の角笛が吹かれてから、獣が獣の像を拝まない者たちを皆殺しにし、666の刻印を押すのである。ちなみにヨハネ黙示録で、獣が支配する地に神の裁きをもたらす7人の天使は、ヨハネ黙示録の最初に主イエスが手紙を書き送る7つの教会の天使たちであり、その7教会にローマ教会は含まれていない。現在のキリスト教はローマ教会から生まれたものである。
 
全人類の中で、7つ目の封印が開かれる前に「生ける神の印を持った御使いが額に印を押す神の僕」にならなかった人たちは、裁きを受けることになる。そして7つ目の封印が開かれると、7天使が次々にラッパ(角笛)を吹き、裁きが臨む。第7の天使が角笛を吹くと、真に主イエスに属する12使徒に連なる者は神が用意された場所に避難して養われ、蛇が地に投げ落とされる。地に投げ落とされた蛇は「海の中から上って来る獣」「地中から上って来る獣」と共に、額に神の印がない全地の人々を支配する。世に迎合している者たちや、主イエスが言われた「生ぬるい」どっちつかずの人たちは、たとえ大災害や大戦争を生き延びることができたとしても、獣の像を拝んで奴隷や家畜のようになるか、それを拒否して皆殺しにされるか、どちらかの道しか残されない。そして「人の子」が地に「刈り入れのための鎌」を投げ入れ、7天使が最後の7つの災いをもたらし、獣に属する者たちは、獣と共に最後の7つの禍で滅ぼされる。
 
 生ける神の刻印を持った天使が、神の僕の額に押す刻印とは、霊的な刻印である。霊的な刻印であるが、確かに神の御使いによって刻印される。獣の刻印は、獣に属する者たちは自動的に刻印される。それは主イエスが言われた二者択一である。神に仕えるか、世(富=金)に仕えるか。2つのものに仕えることはできない。
 「取り引き」を支配している蛇は、ティルスのフラムの末裔と共にいる。フリーメーソンやイルミナティと呼ばれる組織の頂点に君臨する者たちは「取り引き」によって富を蓄え、いまや紙幣を自由に印刷できる権利を握っている。それは富に仕える者たちすべてを支配しているということである。富に仕える者たちは、否応なしに彼らに服従せざるを得ない奴隷である。
 「フリーメーソン」は世界最大の秘密結社で、現在の総会員数は1000万人を超えるともいう。アメリカだけでも現在、400万人の会員がおり、歴代の大統領から政府首脳をはじめ、 法曹界、軍人、大財閥、学者、作家、外交官、芸術家、宗教家など、あらゆる職業のトップクラスが名を連ねている。
 表向きは世界一古い友愛団体であると唱え、「自由・平等・博愛」をスローガンに掲げて、ボーイ・スカウト、赤十字、ライオンズクラブ、ロータリークラブなど、福祉・慈善事業を世のため人のために行っているが、それは真の目的を覆い隠すために他ならない。まさに「羊の皮をかぶった狼」である。
 石工としての彼らは世界中の著名な教会・大寺院の数多くの建築に携わってきた。国連を造ったのも、イスラエルを復興させたのも、彼らである(イスラエルを復興させたのは「ソロモンの子ら」を装った「フラムの子ら」なのである)。
 フリーメーソンの印章は、2本のオリーブの枝の中に、定規とコンパスが描かれており、組織は33の階級から成っている。国連の印章は、2本のオリーブの枝の中に、33分割された地球が描かれている。
 
  英国のフリーメーソンは、キリスト教会の支配を直接受けないイギリス初の慈善団体だと公言している。その起源は、後にイングランド王ジェームス1世となるスコットランド王ジェームス6世が1601年にフリーメーソンに入会したこととされる。イングランド王ジェームス1世となった彼は、イングランド貴族に取って代わる政治組織を英国内に構築し、彼らを新たな盟友とし、彼らにフリーメーソンの理想を伝えた。
 ジェームス1世は、自身の家系がダビデの家系だと信じ、自身の子供たちの中からメシアが現れると信じていた。それ以降、子供たちに割礼を施すことが英国王室の伝統となったといわれる。現在、この英国メーソンがフリーメーソンのトップに君臨しており、フリーメーソンの最高位にいるのがエリザベス女王である。その後継者がチャールズであり、その子らである。チャールズの妻であったダイアナは、子供たちが割礼を受けることを拒否したとされる。
 英国はその後、戦争と内戦に突入するが、「フラムの子ら」は英国に軍事費用を貸し付ける代わりに、英国銀行の設立権と理事権、そして金本位制を確立する法的権限を得た。簡単に言えば、紙幣を印刷する権利を得たのである。彼らは英国の貴族の紋章を授けるよう願い出たが却下されたため、政府に大きな経済的圧迫を加えることで1822年、ついにこれを成就させた。そして、その翌年には、全世界のカトリック教会の財政を一手に引き受けた。
  英国銀行の支配権を得た彼らは、これを機にヨーロッパ各国に「銀行の銀行」である中央銀行を設けた。つまりヨーロッパ各国の紙幣を印刷する権利を得たのである。同様にして1913年、彼らはアメリカに連邦準備銀行(FRB)を設立した。連邦準備銀行は匿名株主に所有されているので連邦のものではない。連邦政府組織の仮面をかぶった私設銀行である。そして、その筆頭株主は「フラムの子ら」である。彼らは自由にアメリカのドル紙幣を印刷している。
 日本銀行も例外ではない。2007年現在の日銀総裁・福井俊彦氏は、就任前は米投資会社ゴールドマン・サックスの顧問を務めており、2005年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章を受けている。日本の「国立銀行条令」は、アメリカで1864年に財務長官サロモン・チェースによって制定されたナショナル・バンキング条令をもとに制定された。これに基づいて1872年(明治5年)、日本の中央銀行である日本銀行が設立された。「国立銀行」というと国が設立したように見えるが、そうではない。「国立銀行」とは、政府の認可を受けた民間の商業銀行のことである。国が経営しているのではない。他の民間の商業銀行と異なるのは、紙幣を発行する特別の許可を得ている点である。
 中央銀行は、デフレとインフレを操作することにより、一国の経済を不況にも好況にも一転させることができる。その国の紙幣を印刷する中央銀行を掌握している者は、世界の経済を操作することができ、経済に依存しているすべての人間を操作することができるのである。
 
 今日も、N・M・ロスチャイルド・アンド・サンズは毎朝、金の価格を設定している。この設定が世界中の金の「正規相場価格」となっている。「フラムの子ら」の総元締めは、この権限を一手に握り、配下の者たちが支配する銀行を通じて世界の主要国家の紙幣を発行し、国家や企業に貸付を行い、その国々の政府を意のままに操ることができる。民主主義国家は、民意で運営されているのではない。富の力で動かされているのである。共産主義も、同様に労働者によって運営されているのではない。富を牛耳っている者から資本を受けて革命政府を樹立し、その指導層は資本提供者の意のままに動かされているのである。
 国の歳入は、国民および法人企業が納める「税」であり、その「税」は諸国の金融経済を支配する者が支配している。つまり紙幣を好き勝手に発行することができ、調整することができ、それによって諸国を統治している者が、世界を支配しているのであって、一国の大統領や種層が国を動かしているのではない。
 その仕組みは、ティルスのヒラムがソロモンに導入させた仕組みと同じであり、その仕組みはそれ以前から世に存在して人を支配してきた。
 しかし、その中で、あまり知られていないが、どこの国にも属さない公国で独自の法律を持ち、税法が免じられる自治領という無税地帯が存在する。「オフショア」と呼ばれている地域で、イギリスのマン島とイタリアのベネチアがこれに当たる。世界中の金の70%はここにあると言われる。オフショアの1つであるベネチアの金融界を800年前から支配し、世界の金融界を動かしてきたのが、デル・バンコ一族である。彼らは銀行業をしているが、その名は表には出ていない。EUの本部はランベール銀行ブリュッセル支店の重役室の中にあるが、EUとアメリカを動かしているうちの1つは、このデル・バンコのオフショアである。デル・バンコは、かつてナチスのヒトラーを支持し、資金援助しており、人種差別を促進していたと言われる。

 彼らは、世を紙幣で支配しているが、彼らが支配できるのは富に仕える人間たちだけである。富に仕える人間たちは、彼らのとりこになる。しかし、真に世を支配しているのは富ではないし彼らでもない。つまり、世の真の支配者は別にいる。それは創造者ただお一人である。そして、その権限は御子にゆだねられている。
 紙幣は、神が創造したものを、あるいはそれを材料にして、人間たちが物々交換のために使用する「紙切れ」にすぎない。神が創造したものを紙切れで勝手に「取り引き」することによって支配する仕組みを作って、自分たちが支配者であるかのように装っているにいるにすぎない。人間は紙切れに支配される存在として創造されてはいない。人間は本来、神が創造したすべてのものを支配する存在である。その人間が、紙切れで世を支配する者に支配され、「取り引き」を牛耳っ人間を支配しているサタンの奴隷となっているのである。
 このサタンの支配から脱しない人間は、サタンと共に滅ぶ運命にある。
 この支配から脱するためには、神に属する者となる以外に道は無い。
 人は、神と富とに兼ね仕えることはできない。