獣・竜・大淫婦バビロンの幻の真相
(西暦2022年1月追記)


 「フラムの子ら」は、彼らの真の目的である「人類支配」の実現に向かって着実に計画を進めている。主イエスが言われた、かつてなく、これからもないような人類最大の惨劇は、彼らによってもたらされる。
 かつて「バベルの塔のある町」を築こうとしていたニムロデは、天まで届く塔のある町を建てて名を上げようとした。反逆者の末裔は、神によって滅ぼされた塔の跡から文明都市バビロニアを起こす。バビロニアはイスラエルを滅ぼすが、やがてメディア・ペルシャがバビロニアにとって代わり、更にギリシャ(マケドニア)がそれを征服する。そして、ローマが取って代わり、ローマ支配化のイスラエルに主イエスが誕生する。
 その主イエスを、当時ローマ支配化のイスラエルを統治していた王と祭司ら(フラムの子ら)は、十字架につけた。「フラムの子ら」は、ローマに拡がったキリスト教をも支配し、一方で富によって世界中の経済を支配し、国々の指導者たちを支配していった。そして世界中の人々は、彼らに従っていった。そして「フラムの子ら」は、まもなく最終目的に取り掛かる。

「わたしはまた、1匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには10本の角と7つの頭があった。それらの角には10の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。 竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。『だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。』 この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、42か月の間、活動する権威が与えられた。そこで、獣は口を開いて神を冒涜し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを 冒涜した。獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。地上に住む者で、天地創造の時から、 屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。耳ある者は、聞け。捕らわれるべき者は、捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、剣で殺される。ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。」(ヨハネ黙13・1〜10)

「わたしはまた、もう1匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、子羊の角に似た2本の角があって、竜のようにものを言っていた。この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。第2の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額(ひたい)に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は666(六百六十六)である。」(ヨハネ黙13・11〜18)

 ヨハネ黙示録の解釈については、様々な解釈が世に出回っているが、真の解釈が出されたことはない。なぜなら、主なる神が終わりのときまで封印しておられるからである。そのことはヨハネ黙示録の中にも記されている。ヨハネ黙示録は、世の終わりのときの直前に、羊によって聖書(巻物)の封印が解かれ、羊が選んだ預言者にその奥義が明かされるのである。
 旧約聖書に登場するダニエルはかつて、主イエス誕生以前に世を支配する4つの獣の幻を見た。同じ時期の預言者エゼキエルは、それを4体のケルビムの、顔の向きで見た。同じく預言者ゼカリヤは、同じものを4頭の馬の幻で見た。これらの預言者たちが見せられた幻は、主イエスが誕生するまでに起こることであった。
 預言者たちは、「終わりの日」に主イエスが現れるときまでに起こることを、別々の幻で見せられたのである。なぜ主なる神は、預言者たちにわざわざ同じことを別々の幻で見せたのか。それは、真に神を求める者だけがその意味を悟り、神に反する者たちがその意味を理解することがないように、封印されているのである。
 主イエスは言われた。「あなたがた(12使徒)には神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。それは、『彼らが見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、理解できず、こうして、立ち帰って赦されることがない』ようになるためである。」(マルコ4・11〜12)。

 かつての預言者たちが見せられた幻も、一種の「たとえ」であり、「外の人々」には理解することができない。それが理解できないのは目が開いていないからで、目が開いていないのは心に灯がないからである。理解できないならば立ち帰って赦されることがない。
 旧約時代の預言者たちが見た幻が、主イエスが現れるまでに世を支配する4つの獣を示しているように、ヨハネ黙示録に登場する4頭の馬(馬は戦車を示す)は、主イエス登場以降から「終わりの日」までに世を支配するものを示している。登場する4頭の馬は、かつて預言者ゼカリヤが見た馬と同じものであるが、登場する馬の色の順番が異なっている。預言者エゼキエルが幻で見た4つのケルビムは、主イエス誕生までに世を支配するものたちの姿を教えている。エゼキエルが見せられたケルビムと、ゼカリヤが見せられた馬と、ダニエルが見せられた獣を相応させると、次のようになる。
 
 
エゼキエルのケルビム第1の顔(ケルビム)は、ゼカリヤ第1の赤毛馬に相応し、またダニエル第1の「有翼の獅子(バビロニア)」に相応している。バビロニアは「法と統治者」によって人々を支配した。
 エゼキエル第2の顔(人間)は、ゼカリヤ第2の黒毛馬に相応し、またダニエル第2の「3本の肋骨をくわえた熊(メディア・ペルシャ)」に相応している。
 エゼキエル第3の顔(獅子)は、ゼカリヤ第3の白毛馬に相応し、ダニエル第3の「4つの翼と4つの頭をもつ豹(ギリシャ)」に相応している。
 エゼキエル第4の顔(鷲)は、ゼカリヤの第4のまだら馬に相応し、ダニエルの第4の「10本の角をもつ獣(ローマ)」に相応している。ダニエルは、第4の獣は聖者らと闘って勝つが、やがて「日の老いたる者」が進み出て裁きを行い、いと高き者の聖者らが勝ち、時が来て王権を受けたと記している(ダニエル書7章)。


  ヨハネ黙示録に記されていること(主イエス誕生以降、「終わりの日」までに起こること)は、これとよく似ているが少しだけ異なっている。ゼカリヤが見た馬の色と、順番が異なっているのだ。その順番に当てはめると、主イエス以降、まず登場するのは「白い馬に乗る者」である。次いで「赤い馬に乗る者」が登場し、3番目に「黒い馬に乗る者」、最後に「青白い(まだらの)馬に乗る者」が登場して、それから「終わりの日」に至る。
 ヨハネ黙示録に記されている4つの馬(第1の封印〜第4の封印)の解釈は、こうである。

 
第1の白い馬に乗る者は、旧約時代の預言者ゼカリヤが見た幻では主イエスの登場前に現れるマケドニア(ギリシャ)を意味していた。ギリシャはバビロニアの影響を色濃く継承した文明で、後に4つに分割し、そのうちの1つがエルサレムと神殿を占領した。このギリシャの「善悪の知識」は哲学として、砂漠の民(アブラハムの子イシュマエルの子孫)に大きな影響を与える。白い馬に乗っている者は弓を持っている。イスラムのルーツは、アブラハムの子「イシュマエル」にあるとされ、イシュマエルは荒野で生きるために弓を持つ者となった、と創世記は記している(21章20節)。イスラム集団は、バグダッドにギリシャ哲学を学ぶ「知恵の館」を設立し、イスラム哲学が発展して強大な指導者が生まれ、ヨーロッパ中に勢力を拡大。それに対抗して、ヨーロッパの王家と富者たちはキリスト教(カトリック)の強化を図り、偶像化を進めていく。イスラム勢力はキリスト教の偶像崇拝を弾劾。やがてアラブ一帯に勢力を確立する。ヨーロッパではギリシャのヘレニズム文明が復興(ルネッサンス)し、かつてのバビロンの人間中心主義(神を否定)の哲学も再興、そこから赤い馬(共産主義)も生まれる。改革の波は、キリスト教の改革派(プロテスタント)も生んだ。※アブラハムのもう一人の子イサクの子がヤコブであり、ヤコブが神からイスラエルの名を与えられ、ヤコブの12人の子がイスラエル12部族となる。

 
第2の赤い馬に乗る者は、ゼカリヤが見た幻ではバビロニアであった。ヨハネの黙示でも、第1の者の次に現れるのが、かつてのバビロニアと同じように、統治者である英雄が「法」によって人を支配し、英雄(統治者)は自らを偶像化し、人々を統治する共産主義社会の登場を意味している。彼らは革命の名のもとに武力でブルジョア層を打ち倒し、彼らに変わって人々を支配する。その象徴は労働を意味する牛であり、労働こそが価値とされ、「平等」の美名のもと実際には人が牛と同等の価値しか有さない奴隷労働社会が出現する。統治者は地上から平和を奪い取って、人々に殺し合いをさせる。統治者の力は剣(武器)である。

 
第3の黒い馬は、ゼカリヤが見た幻ではメディア・ペルシャであった。メディア・ペルシャが勢力を持ったのは、その流通経済の力によってであった。ヨハネの黙示でも、かつてのメディア・ペルシャが行った経済交流と同じように、アラブの砂漠に石油が産出することによって、アラブ砂漠の遊牧民が皮肉にも西側(聖書では北側)世界の産業の鍵を握るようになる。西側諸国の産業革命以降、石油は不可欠のエネルギー源となり、アラブ諸国は石油1コイニクス(約1.1リットル)で小麦1デナリオン分・大麦3デナリオン分を得ることができ、オリーブ油・ぶどう酒も十分に得て豊かになる。ちなみに、麦・オリーブ油・ぶどう酒はイスラエルの象徴でもあり、アラブ諸国はイスラエルの命運を左右するようになり、石油経済を握ったことでキリスト教社会とも拮抗する。

 
第4のまだらの馬は、ゼカリヤが見た幻ではローマであった。ヨハネの黙示では、「終わりの日」の最後に登場する。この「青白い馬」について、西暦2021年11月10日に主は私に幻を示された。私はその意味を悟ることができなかったが、49日の後、それを理解した。新共同訳が「青白い馬」と訳しているのは、旧約聖書のゼカリヤ書の「まだらの馬」のことである。「まだら」とは何か。それは、創世記でヤコブがラバンから報酬として受け取り、生殖によって増えた「ぶちとまだらの羊と山羊」のことだ。ヤコブの時、まだらの羊と山羊は生殖によって増殖した。しかし「終わりのとき」にまだらの馬に乗っている者の名は「死」である。そして陰府がそれに従っている。それは命を殺す富の増殖を意味する。その意味は、富を求める者たちが神が創造された自然世界を破壊し、自然の生殖活動を破壊しながら富を増殖させることである。儲かる企業への偏った投資、人工的な生産・生殖、同性愛の奨励、それらは自然の生産活動を破壊し、疫病を招き、飢饉を招き、戦争をもたらし、人々を「死」に導き、陰府にいざなう。その原点は、神が創造した世界に都市(塔のある町)を建設しようとしたニムロデにある。神が創造された「命」のシステムである自然を破壊して、人間だけの便利さと富を追及する増殖のゴールは「死」である。この悪魔の巧妙な罠から逃れることができるのは、目覚めた者たちだけである。
 パウロによる、主イエスの教えを歪曲したキリスト教の増殖も同様である。パウロとキリスト教徒たちは偽の教えと偶像崇拝をローマで増殖させ、異教ローマの上にまたがる大淫婦となり、「神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々」(ヨハネ黙示録6・9)を抹殺していった。主イエスが「そのパン種によく気を付けなさい」と戒められたパン種(パウロの教えを増殖させる者たち)は、世界中に拡がり、終わりの日にローマを復活させる。やがて2匹の獣が現れる。ヨハネ黙示録13章の第1の獣は10本の角と7つの頭を持ち、豹(ギリシャ)に似ており、足は熊(メディアとペルシャ)の足のようで、口は獅子(バビロニア)の口のようである。竜(蛇)はこの獣に自分の力と王座と大きな権威とを与える。その頭の1つは剣によって傷つけられて死んだと思われるが、その致命的な傷も治ってしまい、人々は服従する。さらに第2の獣(子羊の角に似た2本の角がある)が地中から上って来る。第2の獣が刻印する数字は第1の獣の名、あるいはその名の数字である。それは人間を指していて、その数字は666である


 ここで、もう一度、ゼカリヤが見た「まだらの馬」=ローマを思い出してほしい。まだらの馬ローマが登場した時、イスラエルのヘロデは積極的に異教ローマに協力することでイスラエルの王となり、大祭司や祭司たちも異教ローマに取り入ることで、その地位を得た。ヘロデ王は、異教ローマに気に入られるためにローマ様式の宮殿や数々の偶像、施設の建設を進めると共に、ローマ通貨を導入した。そしてイスラエルの民の信任を得るためにソロモン神殿を再建した。まだらの馬ローマとイスラエルは、一体だったのである。ヘロデ王は、異教ローマとイスラエルの一体化を積極的に推し進め、イスラエル中に増殖させた。イスラエルの人々は「まだら」と言えば、ヤコブによって増殖したまだらの羊と山羊を思い起こす。ゼカリヤが預言した「まだらの馬」は異教ローマであると同時に、偶像崇拝と姦淫したイスラエルでもあるのだ。そして当時のイスラエルに産れた主イエスは、イスラエルに警告を発し、イスラエルの指導者たちが都合のよいように形骸化した律法の正しい解釈を教えて、神に立ち帰るよう促した。そのためにヘロデ王やローマに取り入った大祭司や祭司たちの手によって、十字架につけられたのである。
 主イエスは、祭司たちに、お前たちが仕えているのは神なのか異教ローマなのかと指摘し、ヘロデのパン種・ファリサイ派のパン種に気を付けるよう弟子たちに戒めた。パウロはヘロデ派でもありファリサイ派でもありローマ市民でもある。
 ヘロデ王が再建したソロモン神殿にも、何の価値もない。  ソロモンと言えば主イエスの系図に繋がる偉大なイスラエルの王であり、そんな人物がまさか、と思うならば、マタイ福音書の冒頭に記されている主イエスの系図と、ルカ福音書3章に記されている主イエスの系図を見比べてみるとよい。ルカ福音書に記されている系図にソロモンの名は無い。代わりに記されているのは「ナタン」である。そもそもソロモンは、ダビデが人妻バテシバに産ませた姦淫の子で、ダビデはバテシバの夫を戦場の最前線に送り込んで死なせ、バテシバを奪い、子を産ませた、後継の王にしたのである。いうまでもなく律法は姦淫を禁じており、ソロモンにイスラエルの王たる資格はない。ソロモンは700人の正室と300人の側女を持ち、彼女たちの偶像崇拝を容認した(列王記上11章)。ソロモン自身も神を捨てて異教の神(偶像)に従い、ソロモンの宮殿も神殿も異教の偶像に満たされていた。そこにいた祭司たちは、異教の祭司たちである。
 旧約聖書の列王記、歴代誌を読めば一目瞭然だが、ソロモン以降のイスラエルは偶像崇拝が蔓延し、神から「姦淫の女」と言われ続けた。ソロモンの子の代にイスラエルは南北に分裂し、その後も偶像崇拝を続け、神は預言者を遣わして何度も何度も「神に立ち帰れ」と警告するが、民は預言者たちを弾圧し、殺し、やがてバビロニアやアッシリアに滅ぼされる。その後、ペルシャの時代に神の手によってイスラエルの地に帰還を果たすが、過ちを繰り返してギリシャに支配され、ローマに支配される。

 現代のイスラエルは、ロスチャイルドが富によって土地を購入して、全世界からユダヤ人を帰還させ、中東戦争を繰り返してパレスチナ人(ペリシテ人)を追い出し、手に入れた。神が現代に再建した国ではない。そしてソロモン神殿の再建を目指している。ソロモン神殿を再建するためには、いまイスラム教徒がモスクを建設している場所を占領する必要がある。そのための準備を着々と進めているのだ。ソロモン神殿を再建したならば、やがてそこに指導者が立つ。ユダヤ人からも、キリスト教徒からも、救世主と仰がれる人物を立てる。その人物こそが、主イエスが前もって伝えた「荒らす憎むべき者(憎むべき破壊者)」である。
主イエスが言われたように、主イエスの真の名を知る「主の民」は、すべての人に憎まれる。すべての人が荒らす憎むべき者に従うからだ。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。人の子が来るからだ。

 ヨハネ黙示録のまだらの馬=新ローマは、当時と同じようにイスラエルと一体化する。まだらの馬に乗っている者の名は「死」だと、ヨハネ黙示録は教える。「死」は、エデンの「善悪の知識の木」の実をエバが蛇の言葉に従って食べたことにより世に持ち込まれた。神は「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と言われた。善悪の知識は、神から来ているものではない。神によって目が開かれていないと、神から来ている知識との区別がつかない。
 善悪の知識は、戦争と飢饉と死を招く。「まだらの馬」に乗っている者=「死」は、陰府を従わせていて、地上の1/4を支配し、剣と飢饉と死をもって、さらに地上の野獣(力ある国々や支配者たち)で人を滅ぼす。そして、まだらの馬に乗っている者は、その直後に記されているように「神の言葉と自分たちがたてた証のために殺された人々」を、善悪の知識で異端と断じて殺した者である。


 ヨハネ黙示録17章に記されている竜(蛇)は、女(大淫婦バビロン)を乗せている(淫婦についてはイザヤ書1章・23章・57章、エレミヤ書3章、エゼキエル書16章・23章、ホセア書1〜2章、ゼカリア書5章、他を参照)。この女は、もともとは神の花嫁たるイスラエルのことを意味していたが、主イエス以降は主イエスの花嫁を象徴している。女は主イエスの花嫁であるべきだったが、ローマの支配者と手を組んでパウロの花嫁となり、キリスト教会となった。だからこそ、この幻を見せられたヨハネは大いに驚いた。驚くヨハネに、天使がその秘められた意味をこう明かしている(これを読んで目覚めた主の民が、彼らの災いに巻き込まれないように)。

「この女を見て、わたしは大いに驚いた。すると、天使がわたしにこう言った。『なぜ驚くのか。わたしは、この女の秘められた意味と、女を乗せた獣、7つの頭と10本の角がある獣の秘められた意味とを知らせよう。』 (ヨハネ黙17・6〜7)

 本来は主イエスの花嫁たるべきキリスト教会が、大淫婦バビロンになっていることに、ヨハネは「非常に驚いた」のである。 この大淫婦バビロンの秘められた意味を解く鍵について、ヨハネ黙示録18章11〜14節にこう書かれている。

「地上の商人たちは、彼女のために泣き悲しむ。もはやだれも彼らの商品を買う者がないからである。その商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻の布、紫の布、絹地、赤い布、あらゆる香ばしい木と象牙細工、そして、高価な木材や、青銅、鉄、大理石などでできたあらゆる器、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、小麦、家畜、羊、馬、馬車、奴隷、人間である。」

 表面的には、女が貿易で富を蓄えているように書かれている。しかし、ここに書かれているのはエゼキエル書26〜28章のティルスに関する記事の引用であり、ティルスとはエデンにいた蛇である(エゼキエル26章〜28章)。エゼキエル書は、その正体をソロモンがティルスのフラムと連合して造営した神殿によって示している。ティルスのフラムは「フラムの子ら」の始祖であり、その背後にいるのはエデンにいた蛇である。
 かつてニムロデが諸国民を連合させて神に反逆する「塔のある町バベル」を建設したのと同じように、「大淫婦バビロン」であるキリスト教会と諸宗教の連合は、終わりの日の前に世の支配者の上にまたがり、多くの水(あらゆる教え)の上に座る。終わりの日の前には、ソロモン神殿(実はフラムの神殿)が再建され、かつてソロモンとフラムがメギドの丘(ハルマゲドン)に666キカルの金(税)を集めたように、「666の獣」が世界の金(および税)を統括して世界と人々を支配する。世の人々は彼に従う。
 「バベルの塔」とよく言われているものは、正しくは聖書の創世記に記されている「塔のある町バベル」である。「塔のある町バベル」は、ヴァチカンをはじめとして、フランスやアメリカ、世界中の至るところに建設されている。

 さて、「大淫婦バビロン」の記述の前に、ヨハネ黙示録は、天使が偶像崇拝する人々を攻撃し、それによって人間の1/3が殺されるが、それでも人々は悔い改めないと記載している。

「この三つの災いで人間の三分の一が殺された。馬の力は口と尾にあって、尾は蛇に似て頭があり、この頭で害を加えるのである。これらの災いに遭っても殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、なおも、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木それぞれで造った偶像を礼拝することをやめなかった。このような偶像は、見ることも、聞くことも、歩くこともできないものである。また彼らは人を殺すこと、まじない、みだらな行い、盗みを悔い改めなかった。」(ヨハネ黙9・18〜21)

 真の「主の民」は、彼女(大淫婦バビロン)の罪に預からないように、そこから逃げ出さなければならない。もはや残された「とき」は少ない。
 彼らによってもたらされるものは「命」ではなく「死」であり「陰府」である、とヨハネ黙示録は教えている。
 主イエスは言われた。

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない。」(マタイ7・13〜14)