終わりのときの預言  「目覚めていなさい」


 紀元前6世紀頃、バビロニア帝国が台頭し、中東一帯に勢力を拡大していた。イスラエルは南北の王朝に分裂しており、北王朝イスラエルはすでにアッシリアに滅ぼされていたが、そのアッシリアを滅ぼしたバビロニアの王ネブカドネザルは、南王朝ユダを滅ぼし、エルサレム神殿の祭具の一部を手に入れ、ユダ王や神殿祭司たちを捕囚民としてバビロニアに連行した。
 神は、捕囚民の1人だったダニエルに、幻によって「終わりの時」に起こることを示した。またダニエルは、ネブカドネザル王が見た夢を言い当て、その意味を解釈した。そのいきさつは次のとおりである。

「王様、あなたは一つの像を御覧になりました。それは巨大で、異常に輝き、あなたの前に立ち、見るも恐ろしいものでした。それは頭が純金、胸と腕が銀、腹と腿が青銅、すねが鉄、足は一部が鉄、一部が陶土でできていました。見ておられると、1つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕きました。 鉄も陶土も、青銅も銀も金も共に砕け、夏の打穀場のもみがらのようになり、風に吹き払われ、跡形もなくなりました。その像を打った石は大きな山となり、全地に広がったのです。これが王様の御覧になった夢です。さて、その解釈をいたしましょう。
 王様、あなたはすべての王の王です。天の神はあなたに、国と権威と威力と威光を授け、人間も野の獣も空の鳥も、 ここに住んでいようとみなあなたの手にゆだね、このすべてを治めさせられました。すなわち、あなたがその金の頭なのです。あなたのあとに他の国が興りますが、これはあなたに劣るもの。その次に興る第3の国は青銅で、全地を支配します。第4の国は鉄のように強い。鉄はすべてを打ち砕きますが、あらゆるものを破壊する鉄のように、この国は破壊を重ねます。 足と足指は一部が陶工の用いる陶土、一部が鉄であるのを御覧になりましたが、そのようにこの国は分裂しています。 鉄が柔らかい陶土と混じっているのを御覧になったように、この国には鉄の強さもあります。足指は一部が鉄、一部が陶土です。すなわち、この国には強い部分もあれば、もろい部分もあるのです。また、鉄が柔らかい陶土に混じり合っているのを御覧になったように、人々は婚姻によって混じり合います。しかし、鉄が陶土と溶け合うことがないように、ひとつになることはありません。この王たちの時代に、天の神は一つの国を興されます。 この国は永遠に滅びることなく、その主権は他の民の手に渡ることなく、すべての国を打ち滅ぼし、永遠に続きます。山から人手によらず切り出された石が、鉄、青銅、陶土、銀、金を打つのを御覧になりましたが、それによって、偉大な神は引き続き起こることを王様にお知らせになったのです。この夢は確かであり、解釈もまちがいございません。」(2章)

 この像の解釈は、金の頭がバビロニア、胸と腕が銀というのはメディア・ペルシア、青銅の国はマケドニア(ギリシャ)、鉄はその次に現れるものを示している。ダニエルの夢の解釈により、ネブカドネザル王は彼にバビロニア全州を治めさせ、バビロンの知者すべての上に長官として立てたが、ダニエルは友人をバビロン州の行政官に任命してもらい、自らは王宮にとどまった。
 やがてネブカドネザル王は金の像を造り、すべての人々に、これをひれ伏して拝めと命じた。しかし、ダニエルと友人たちはこの像を拝まなかったため、燃え盛る鉄の 炉に放り込まれた。ところが彼らは、神の守護によって燃えなかったので、彼らはバビロン州で高い位につけられた。そして、ネブカドネツァルの子ベルシャツァル王の治世元年に、ダニエルは幻を見る。

「ある夜、わたしは幻を見た。見よ、天の四方から風が起って、大海を波立たせた。すると、その海から4頭の大きな獣が現れた。 それぞれ形が異なり、第1のものは獅子のようであったが、鷲の翼が生えていた。見ていると、翼は引き抜かれ、地面から起き上がらされて人間のようにその足で立ち、人間の心が与えられた。第2の獣は熊のようで、横ざまに寝て、3本の肋骨を口にくわえていた。これに向かって、『立て、多くの肉を食らえ』という声がした。次に見えたのはまた別の獣で、豹のようであった。背には鳥の翼が4つあり、頭も4つあって、権力がこの獣に与えられた。この夜の幻で更に続けて見たものは、第4の獣で、ものすごく、恐ろしく、非常に強く、巨大な鉄の歯を持ち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじった。 他の獣と異なって、これには10本の角があった。その角を眺めていると、もう1本の小さな角が生えてきて、先の角のうち3本はそのために引き抜かれてしまった。この小さな角には人間のように目があり、また、口もあって尊大なことを語っていた。 なお見ていると、
王座が据えられ
『日の老いたる者』がそこに座した。
その衣は雪のように白く
その白髪は清らかな羊の毛のようであった。
その王座は燃える炎
その車輪は燃える火
その前から火の川が流れ出ていた。
幾千人が御前に仕え
幾万人が御前に立った。
裁き主は席に着き 巻物が繰り広げられた。
さて、その間にもこの角は尊大なことを語り続けていたが、ついにその獣は殺され、死体は破壊されて燃え盛る火に投げ込まれた。他の獣は権力を奪われたが、それぞれの定めの時まで生かしておかれた。
夜の幻をなお見ていると、
見よ、『人の子』のような者が天の雲に乗り
『日の老いたる者』の前に来て、そのもとに進み
権威、威光、王権を受けた。
諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え
彼の支配はとこしえに続き その統治は滅びることがない。

 わたしダニエルは大いに憂い、頭に浮かんだこの幻に悩まされた。そこに立っている人の一人に近づいてこれらのことの意味を尋ねると、彼はそれを説明し、解釈してくれた。『これら4頭の大きな獣は、地上起ろうとする4人の王である。しかし、いと高き者の聖者らが王権を受け、王国をとこしえに治めるであろう。』 更にわたしは、第4の獣について知りたいと思った。これは他の獣と異なって、非常に恐ろしく、鉄の歯と青銅のつめをもち、食らい、 かみくだき、残りを足で踏みにじったものである。その頭には10本の角があり、更に1本の角が生え出たので、10本のうち3本が抜け落ちた。 その角には目があり、また、口もあって尊大なことを語った。これは、他の角よりも大きく見えた。見ていると、この角は聖者らと闘って勝ったが、やがて、『日の老いたる者』が進み出て裁きを行い、いと高き者の聖者らが勝ち、時が来て王権を受けたのである。
 さて、その人はこう言った。
『第4の獣は地上に興る第4の国
これはすべての国に異なり
全地を食らい尽くし、踏みにじり、打ち砕く。
10の角はこの国に立つ10人の王
そのあとにもう1人の王が立つ。
彼は10人の王と異なり、3人の王を倒す。
彼はいと高き方に敵対して語り
いと高き方の聖者らを悩ます。
彼は時と法を変えようとたくらむ。
聖者らは彼の手に渡され
1時期、2時期、半時期がたつ。
やがて裁きの座が開かれ
彼はその権威を奪われ
滅ぼされ、絶やされて終わる。
天下の全王国の王権、権威、支配の力は
いと高き方の聖なる民に与えられ
その国はとこしえに続き
支配者はすべて、彼らに仕え、彼らに従う。』
ここでその言葉は終わった。わたしダニエルは大層恐れ悩み、顔色も変わるほどであった。」(7章)

 ダニエルが見たこの幻は、先にネブカドネザル王が見た幻と同一のことを示していると解釈されている。 すなわち、第1の鷲の翼が生えた獅子のような獣=バビロニア、第2の3本の肋骨を口にくわえる熊のような獣=メディア・ペルシア、 第3の背に鳥の翼が4つあり頭も4つある豹のような獣=マケドニア(ギリシャ)、第4の10本の角を持つ獣=その次に現れるもの、という解釈である。そう解釈すれば、最後に覇権を握るのはキリスト教会ということになり、その統治は永遠に続くという解釈になる。
 しかしながら、それならばダニエルが大いに憂い、頭に浮かんだこの幻に悩まされたりするだろうか。大層恐れ悩み、顔色も変わるほどになるだろうか。
 鍵となるのは、「1時期、2時期、半時期」の解釈である。この期間を短く解釈するならば、キリスト教徒がローマに迫害された期間だと解釈することができ、それでも最後はローマがキリスト教を国教にしたことで、キリスト教会が勝利したという解釈が成り立つ。だとしたら、その時から現代にいたるまで、全世界は神と教会の支配のもとに幸福を享受しているはずなのだが、現実にはそうなっていない。それに、ローマがキリスト教を国教にする経緯の中で、ローマの支配者は絶やされていないし、滅ぼされてもいない。むしろ、キリスト教会がローマに妥協し、歩み寄り、迎合する形で、ローマはその支配を確固たるものにしていった。 実際、ローマはキリスト教会を取り入れることによって、現代まで存続し続けていると言える。日本で世界史を教える際には、ローマ帝国は東フラクにおけるカロリング王朝の断絶(900年代)をもって、ローマ帝国は滅びたと教えられているが、西欧ではそうではない。962年に、オットー1世がローマ教皇ヨハネス12世からローマ帝国の後継者として皇帝に戴冠し、ローマ帝国は「神聖ローマ帝国」として存続したというのが正式な見解なのである。このオットー1世に始まるシュタウフェン朝も1200年代に終焉するが、神聖1806年まで続く。そして、いったん滅びたように見えているローマ帝国だが、ローマ法王が仮にEUの統治者に戴冠することにでもなれば、いつもで復活できる状態にあるのである。なぜならは、ローマ帝国皇帝を認証する権利は、ローマ教皇が保持し続けており、その権利は途切れることなく続いているからである。
 さて、そうしてみると、ダニエルの幻の「10人の王」と「1時期、2時期、半時期」の解釈によっては、別の解釈が生まれる可能性があるということになる。あるいは、また、こういう解釈も成り立つ。主イエスが来られた時、もしイスラエルが主イエスを受け入れていたら、ローマはどうなっていたか。その場合の「1時期、2時期、半時期」は短く、そして主イエスがイスラエルとローマの手によって十字架に掛けられた場合の「1時期、2時期、半時期」は長い、いずれにしても幻は必ず実現することになっている、そういう幻である可能性もある。その根拠の一つは、モーセの出エジプトである。エジプトからカナンに入る道程は、40日ほどで到達する距離である。ところが民の不信により、40年かけて彼らはカナンに入った。
 「1時期、2時期、半時期」は、1時期を1年と解釈するならば3年半ともなるし、聖書による「神の1日は人間の1年」から、1時期イスラエル暦の1年360日〜385年の×3・5ともなる。1年を西暦の365日で計算すると、1280年程度となる(ユダヤ暦では1年は354日か355日で閏年が383〜385日で、19年に7回の閏年がある)。もちろん、「1時期、2時期、半時期」という表現は、年数を正確に表す表現ではないので、だいたいの目安ということになる。
  
 さて、ダニエルはベルシャツァル王の治世第3年にも、また幻を見た。

「わたしダニエルは先にも幻を見たが、その後、ベルシャツァル王の治世第3年に、また幻を見た。その幻の中にあって、見るとわたしはエラム州の都スサにおり、ウライ川のほとりにいるようであった。目を上げて眺めると、見よ、1頭の雄羊が川岸に立っていた。2本の角が生えていたが共に長く、1本は他の1本より更に長くて、後ろの方に生えていた。見ていると、この雄羊は西、北、南に向かって突進し、これにかなう獣は1頭もなく、その力から救い出すものもなく、雄羊はほしいままに、また、高慢にふるまい、高ぶった。
 これについて考えていると、見よ、西から1頭の雄山羊が全地の上を飛ぶような勢いで進んで来た。 その額には際立った1本の角が生えていた。この雄山羊は先に見た川岸に立っている2本の角のある 雄羊に向かって、激しい勢いで突進した。みるみるうちに雄山羊は雄羊に近づき、怒りに燃えてこれを打ち倒し、その2本の角を折ったが、雄羊には抵抗する力がなかった。雄山羊はこれを地に投げ打ち、踏みにじった。その力から雄羊を救い出すものはなかった。雄山羊は非常に尊大になったが、極みで角は折れ、その代わりに4本の際立った角が生えて天の四方に向かった。 そのうちの1本からもう1本の小さな角が生え出て、非常に強大になり、南へ、東へ、更にあの『麗しの地』へと力を伸ばした。これは天の万軍に及ぶまで力を伸ばし、その万軍、つまり星のうちの幾つかを地に投げ落とし、踏みにじった。その上、天の万軍の長にまで力を伸ばし、日ごとの供え物を廃し、その聖所を倒した。また、天の万軍を供え物と共に打ち倒して罪をはびこらせ、真理を地になげうち、思うままにふるまった。 わたしは1人の聖なる者が語るのを聞いた。またもう1人の聖なる者がその語っている者に言った。 『この幻、すなわち、日ごとの供え物が廃され、罪が荒廃をもたらし、聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は、いつまで続くのか。』彼は続けた。『日が暮れ、夜の明けること2300回に及んで、聖所はあるべき状態に戻る。』
 わたしダニエルは、この幻を見ながら、意味を知りたいと願っていた。その時、見よ、わたしに向かって勇士のような姿が現れた。すると、ウライ川から人の声がしてこう言った。『ガブリエル、幻をこの人に説明せよ。』彼がわたしの立っている所に近づいて来たので、わたしは恐れてひれ伏した。彼はわたしに言った。 『人の子よ、この幻は終わりの時に関するものだということを悟りなさい。』 彼がこう話している間に、わたしは気を失って地に倒れたが、彼はわたしを捕らえて立ち上がらせ、こう言った。 『見よ、この怒りの時の終わりに何が起こるかをお前に示そう。定められた時には終わりがある。 お前の見た2本の角のある雄羊はメディアとペルシャの王である。また、あの毛深い雄山羊はギリシアの王である。 その額の大きな角は第1の王だ。その角が折れて代わりに4本の角が生えたが、それはこの国から、それほど力を持たない4つの国が立つということである。
4つの国の終わりに、その罪悪の極みとして
高慢で狡猾な一人の王が起こる。
自力によらずに強大になり
驚くべき破壊を行い、ほしいままにふるまい
力ある者、聖なる民を滅ぼす。
才知にたけ
その手にかかればどんな悪だくみも成功し
驕り高ぶり、平然として多くの人を滅ぼす。
ついに最も大いなる君に敵対し
人の手によらずに滅ぼされる。
この夜と朝の幻について
 わたしの言うことは真実だ。
しかし、お前は見たことを秘密にしておきなさい。まだその日は遠い。』
わたしダニエルは疲れ果てて、何日か病気になっていた。その後、起きて 宮廷の務めに戻った。しかし、この幻にぼう然となり、理解できずにいた。」(8章)


 この幻は、ペルシアとギリシャの戦いと、その後に登場するローマを示している。 バビロニア帝国は徐々に衰退し、ペルシアのキュロス王は前549年にメディアを、次いでリディアを征服し、 前539年にバビロンに迫り、前538年には旧バビロニアのほぼ全域を支配下に治め、西方アジア全域の支配者になった。
 ペルシアのキュロス王は、バビロニアと違って支配国に対して寛容政策をとり、前583年に全捕囚民の解放と帰還許可を公布した。キュロスによる解放は、そのはるか昔にイザヤによって預言されていた。 また、預言者ハガイ、預言者ゼカリヤらの預言に基づいて、ダビデ王の血統を継承する総督ゼルバベルと祭司ヨシュアを指導者とするユダヤ人がエルサレムに帰還した。 故国の荒廃は予想以上にひどく、異教の影響を強く受けていた現地の民衆は彼らを歓迎しなかった。彼らは神殿の再建を喜ばず、そのため着工もできなかった。 しかし、預言者ハガイとゼカリヤの励ましにより前516年、何とか神殿の基礎を再建した。 この再建運動は独立運動を伴っていたが、ゼカリヤ書によると、未遂か失敗に終わったようである。 彼らは、ペルシアからの独立よりも、捕囚期間中に勝手に移住してきた異教徒や、別のユダヤ人グループに対処しなければならなかった。 また、捕囚地からすべての人が帰国したわけではなかった。その地に定着して経済的に成功した者は帰還を望まなかったし、独立を求めて東の地へ移住していった民もいた。
 この頃、聖書の新しい編纂がなされた。その完成したものが現在の5書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)で、これらを捕囚の地から持ち帰って新たに編纂したのがエズラとネヘミヤである。 ネヘミヤがアルタクセルクセス1世(ダレイオス)の好意でペルシア政府任命の知事としてエルサレムに帰還し、持ち帰った5書を公布し、民衆はこれを受諾することを誓約した。ちなみに捕囚期以前の「律法」は、現代の「申命記」の12章〜26章までと、28章だとされ、聖書学者はこの部分を「原申命記」と呼ぶ。 その他の部分は捕囚時代に付加されたとされる。
 苦難のうちに城壁を修復して都を整備したのが前445年とされる。再建への第一歩を踏み出したと言えるが、その準備は捕囚の民によってなされていた。その準備に最も尽力したのは預言者エレミヤであった。「お前たちは(捕囚の地で)家を建ててそれに住み、畑を作ってその産物を食べよ。」(29・5)とのエレミヤの預言に従い、主の民は捕囚地で埋没してしまうことなく、むしろ捕囚地で商業力をつけ、現代の財閥のような力をつけていった。 そのため彼らはペルシア帝国にとって決して小さな存在ではなかったのである。そして主の民は、エレミヤやイザヤの預言によって神殿と国の再建に強い希望を抱いていた。神の預言はその後も、エゼキエル、ダニエル、ハガイ、ゼカリヤへと引き継がれていき、神は捕囚の地にある主の民に希望と進むべき道を示し続けた。
 こうして再建が始まった途上で、マケドニア(ギリシャ)のアレキサンダー王が台頭し、キッテム(キプロス)から兵を挙げ、ペルシアとメディアの王ダレイオスを粉砕し、 ヨーロッパからアジアに及ぶ覇権を確立する。紀元前323年にアレキサンダーが倒れると、彼の4人の武将たちが分割統治するようになり、その4人のうちの1人であるエジプトのプトレマイオス朝がまず紀元前301年にイスラエルの民を支配した。その後、紀元前198年には4人のうちのもう1人であるシリアにイスラエルの民は支配された。しかしその間も、イスラエルの民は苦難の中でエルサレムの町と神殿を再び、再建開始する。だが紀元前175年頃に、シリア地方を支配していたアンティオコス4世エピファネスが、ようやく再建されたエルサレムを略奪したのである。アロンの後継である正当な大祭司オニア3世がエルサレム神殿を守っていたが、その弟ヤソンとヘレニズム派がシリア王アンティオコスに賄賂(わいろ)を送り、卑劣なやり方で大祭司職を奪い、ユダヤにギリシャ文化を取り入れた。そのヤソンも、神殿総務長シモンの兄弟メネラオスがヤソンより多い賄賂をアンティオコスに贈って大祭司職を金銭で買ったが、その後に亡命を余儀なくされる。メネラオスは前大祭司オニア3世を謀殺し、ここにアロンの後継でない大祭司が立つのである。その後、ヤソンとメネラオスの争いが起こるが結局、アンティオコスとメネラオスが勝利し、神殿は「ゼウス・オリュンポスの宮」となり、祭壇にゼウス像が建てられた。紀元前167年のことであった。ダニエルが見た幻のとおりになったのである。
 エルサレム神殿に異教の祭壇が築かれ、「憎むべき破壊者」の偶像が建てられたことにより、日ごとの供え物は廃され、聖所は倒された。多くの民が律法を捨てて支配者に追従したが、紀元前163年にアンティオコス4世エピファネスは急死。マカバイらが神殿を奪還し、神殿は清められた。やがて、ローマが覇権を掌握し、ギリシャによる分割統治時代は終わりを告げた。そこに、主イエスが到来するのである。

 先の幻で 『この幻、すなわち、日ごとの供え物が廃され、罪が荒廃をもたらし、聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は、いつまで続くのか。』彼は続けた。『日が暮れ、夜の明けること2300回に及んで、聖所はあるべき状態に戻る。』とある。短ければ2300日は6年余りで、ちょうどマカバイらが神殿を奪還して清めた時期と一致する。これでダニエルの預言は成就したことになる。
 ただ、ダニエルの預言が2重の預言になっていたとしたら、どうか。一つは、主イエスが「世の終わり」を成就した場合の預言で、その場合は主イエスが再臨する必要はない。しかし主イエスは、自分が来たときが世の終わりであるとしつつ、「世の終わり」が再び来ることも宣言している。だとすると、2300日にもう一つの意味を読み取ることが可能だ。
 聖書による「神の1日は人間の1年」から、日が暮れ、夜の明けること2300回は2300年と換算できる。2300年の起算となるのは、「雄山羊(ギリシャ)はこれを地に投げ打ち、踏みにじった。その力から雄羊(ペルシャ)を救い出すものはなかった。雄山羊は非常に尊大になったが、極みで角は折れ、その代わりに4本の際立った角が生えて天の四方に向かった。 そのうちの1本からもう1本の小さな角が生え出て、非常に強大になり、南へ、東へ、更にあの『麗しの地』へと力を伸ばした。これは天の万軍に及ぶまで力を伸ばし、その万軍、つまり星のうちの幾つかを地に投げ落とし、踏みにじった。その上、天の万軍の長にまで力を伸ばし、日ごとの供え物を廃し、その聖所を倒した。」とある、そのときである。アンティオコス・エピファネスがエルサレムを略奪した紀元前175年頃もしくは神殿にゼウス像が建てられた紀元前167年から、2300年後に聖所があるべき状態に戻るとすれば、それまでの間、聖所はあるべき状態ではなく、「終わりの時」は聖所があるべき状態に戻る前に来ていることになる。つまり、主イエスが預言された「終わりのとき」の大艱難の時期、およびヨハネ黙示録に記されている大患難の時期は、それよりも前に起こることになる。
 バビロンから帰還して再建された神殿は46年かけて再建された。紀元前175年もしくは紀元前167年から、2300年後に聖所の祭礼があるべき状態に戻るのであれば、神殿は再建されているはずだ。様々な材料をもとに、「終わりの時」を算出することは可能だ。
 主イエスが言われたように、「終わりの時」の期間を神が縮めてくださらなければ、誰も救われないほどのことが、終わりの時には起こる。選ばれた者たちのために、その期間を縮めてくださった。が、その期間が決して短いものではないことは、主イエスが預言された「終わりの時」に起こる事柄の様子からも分かる。
 「終わりのとき」の様子は、『ヨハネ黙示録』にも記されているが、2匹の獣が登場してから、その「終わりの時」を迎える。「時を経た蛇」である竜から42ケ月のあいだ活動する権威を与えられた「海の中から上ってくる獣」と、小羊の角に似た2本の角があって竜のようにものを言う「地中から上ってくる獣」が、その2匹の獣である(ヨハネ黙13章)。そして獣の上には「大淫婦バビロン」がまたがっている。
 これについて更に詳しく解明するために、ダニエル書には、もう一つ重要な幻が記述されている。

 ダニエルは、ベルシャツァル王の治世の時、ベルシャツァル王が見た「壁に字を書く指の幻」の解き明かしたことにより、王国を治める者のうち第3の位を与えられていた。その後、王国を継いだのは、メディア人ダレイオス(アルタクセルクセス)であった。ダレイオス王はダニエルに王国全体を納めさせようとしたが、それを 妬んだ大臣や総督はダニエルを陥れようとし、ダニエルはライオンの洞窟に投げ込まれることになった。 しかしダニエルは何の害も受けず、ダニエルを陥れようとした者たちが代わってライオンの洞窟に投げ込まれ、彼らはライオンに骨までかみ砕かれた。 そのダレイオス王の治世第1年のこと、ダニエルは断食し、主なる神に祈り、罪を告白し、神の聖なる山について、主なる神に嘆願し続けていた。 そのとき、ガブリエルが飛んで来て近づき、ダニエルに触れ、こう言った。

「ダニエルよ、お前を目覚めさせるために来た。お前が嘆き祈り始めた時、御言葉が出されたので、それを告げに来た。 お前は愛されている者なのだ。この御言葉を悟り、この幻を理解せよ。
お前の民と聖なる都に対して
 70週が定められている。
 それが過ぎると逆らいは終わり
 罪は封じられ、不義は償われる。
 とこしえの正義が到来し
 幻と預言は封じられ
 最も聖なる者に油が注がれる。
 これを知り、目覚めよ。
 エルサレム復興と再建についての
 御言葉が出されてから
 油注がれた君の到来まで
 7週あり、また、62週あって
 危機のうちに広場と堀は再建される。
 その62週のあと油注がれた者は
 不当に断たれ
 都と聖所は
 次に来る指導者の民によって荒らされる。
 その終わりには洪水があり
 終わりまで戦いが続き
 荒廃は避けられない。
 彼は1週の間、多くの者と同盟を固め
 半週でいけにえと献げ物を廃止する。
 憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」(9章)

 
 
「1年は1日」に換算すると、70週はイスラエル歴490年となる。聖書では、神が6日間で創造の業を終えられ、7日目に安息したことにより、7日目を安息日として聖別して、これを守る。また、7年目は安息年とされて種まき・刈り入れを休み、前年に収穫したもので食糧をまかなった。さらに7年を7度重ねる49年目を大安息年とし、その翌年の50年目を「大ヨベル(解放)の年」とし、借財や奴隷は解放された。70週は、大ヨベル(49年)×10である。
「エルサレム復興と再建についての御言葉」は、預言者ハガイの書や預言者ゼカリヤの書に記されている。 「ハガイ書」には、ダレイオス王の第2年6月と7月に主の言葉が臨んだと記されているから、「エルサレム復興と再建についての御言葉が出され」たのは、紀元前520年である。その7週(49年)後は、ネヘミヤやエズラが預言者と共に危機のうちに神殿の広場の堀の再建に着工している(完成したのが紀元前445年)。そして「ゼカリヤ書」にはこう書かれている。


「主の言葉がわたしに臨んだ。『帰還した捕囚の中から、ヘルダイ、トビヤ、エダヤの家族から、贈り物を受取りなさい。あなたはその日のうちに、ツェファンヤの子ヨシヤの家に入りなさい。彼らはバビロンから帰ったばかりである。銀と金を受け取り、 冠をつくり、それをヨツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭に載せて、宣言しなさい。
 万軍の主はこう言われる。
 見よ、これが“若枝”という名の人である。
 その足もとから若枝が萌えいでる。
 彼は主の神殿を建て直す。
 彼こそ主の神殿を建て直し
 威光をまとい、王座に座して治める。
 その王座の傍らに祭司がいて
 平和の計画が2人の間に生ずる。
 冠はヘレム、トビヤ、エダヤ、およびツェファンヤの子の好意を記念するものとして、主の神殿に置かれる。遠方からも人々が来て、主の神殿の建築に携わる。』」(6章)

 
この幻に登場する大祭司ヨシュアは、来るべき若枝、すなわち古くから預言者によって言われてきた「ダビデの若枝」=救い主の予型として 戴冠しているのである。そして、救い主の名は「ヨシュア(イエス)」であることも預言されている。戴冠されるのは王であり、主イエスも王であるはずなのに、どうして大祭司に戴冠するのか、疑問に思うはずである。大祭司ヨシュアではなく総統ゼルバベルこそが王であるはずであり、主イエスの雛型ではないのか、という疑問である。
 しかし、ダビデ以降、どこかで王と大祭司の血統が入れ違っていたとしたら、この疑問は解消される。そして、もうそうだったとしたら、常にダビデの若枝の命を断とうとしたサタンから、その血統が隠されて存続してきたとも理解できる。
 大祭司ヨシュアの子孫に救世主が生まれると預言されているということは、大祭司ヨシュアはダビデの子孫であり、ユダ族の王の血統であることは間違いない。総統ゼルバベルも王家の血を引いているが、先祖がどこかで入れ換わっていたとしたら、ゼルバベルは大祭司の子孫であることもあり得る。
 この入れ換わりを匂わせる記述が歴代誌にある。北イスラエル王国を偶像崇拝に堕落させた王女イザベルの娘アタルヤが、南ユダの王に嫁いで王女となり、王族をすべて滅ぼそうとした際に、その手を逃れて神殿に6年間、隠れていた人物たちがいた。その隠れていた人物たちの中に、王の赤子のうちの1人(もしくは王の子を孕んだ母)が祭司にまぎれて神殿に隠れていたことは、歴代誌の記載から事実である。7年目になって、その隠れていた人物たちが王子を連れて現れたのである。祭司ヨヤダが王子を連れて現れ、彼に冠をかぶらせ、掟の書を渡して、彼を王と宣言した。王女アタリアは「謀反、謀反」と叫んだが、民は彼女を神殿から追い出して、殺した。「謀反」というのは家臣がクーデターを起こすことであるから、王女アタリアはクーデターを起こしたのは家臣であって王の血統は絶滅したはずだと信じていたことになる。ところが、王の血統を継ぐ者が現れたのだから、これは「謀反」ではない。王女の方が謀反人ということになり、神殿から追い出されて殺されたのだ。王女アタルヤが全滅させたと信じていた王子のうちの1人は、神殿を住居にしていた大祭司の赤子と入れ替えられていた。殺されたのは大祭司の子の中の一人で、本物の王子は大祭司の子として育てられたとしたら、歴代誌に記されているこの物語の謎は解ける。もし、そうしなかったら王家の血統は、王女アタルヤに絶たれてしまっていた。王の血統を残すために、何があったのかを、歴代誌の記述は読者に推察させる。
 歴代誌の記述をそう解釈すると、、大祭司ヨシュアに戴冠された謎も解けるのである。神は預言者ゼカリアとハガイに、大祭司ヨシュアと総督ゼルバベルによる神殿建設と民の指導を命じた。彼らに命じられたのは、ソロモン神殿(フラム神殿)の再建ではない。真の神殿の建設である。その神殿は危機のうちに46年かけて完成された。神が神殿を建設させたのは、もちろん救世主をそこに迎え入れさせるためである。
 しかし、帰還した民はまたしても罪を重ね、再建された神殿はダニエルの預言どおりギリシャ(マケドニア)のシリア総督アンティオコス・エピファネス(荒らす憎むべき者)によって略奪される。その時からさらに62週=434年後、ユダヤ歴1年360日を西暦1年365日に換算すると428年後となり、紀元26年である。主イエス誕生の正しい年が紀元前4年ならば、紀元26年は主イエス30歳の年で、この年はイエスが洗礼者ヨハネのヨルダン川での洗礼に現れた年に当たる。そうすると、それは単なる水の洗礼を意味していたのではなく、主イエスが聖霊を戴冠した年なのであり、その傍らに洗礼者ヨハネがいたということなのである。あの7週の後に大祭司ヨシュアに戴冠した(油を注いだ)のと同じことが、聖霊による戴冠という形で、62週後に成された(油注がれた)。油注ぎとは本来、神の霊が注がれることであり、神による戴冠である(サムエル記、他)。
 そうすると、主イエスは、本当はダビデ王の家系である大祭司の家に生まれた可能性がある。

 ダニエルの預言どおり、救世主たる主イエスが来られる前、神殿は危機のうちに46年かけて再建されていた。そしてダニエルの預言どおりに、イエスは不当に断たれ、その70年後に、都と聖所はローマ帝国によって滅ぼされる。ローマ帝国はやがてパウロによるローマ教会を国教とし、ローマ教皇が統治するようになるが、ローマ教会は何度もエルサレムに十字軍を派遣して、都と聖所を荒らした。そして、ダニエルは「その終わりには 洪水があり、終わりまで戦いが続き、荒廃は避けられない。」と記している。「彼は1週の間、多くの者と同盟を固め、半週でいけにえと献げ物を廃止する。 憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」との記述が続くわけだが、70週のうち7週と62週を過ぎると残るは1週=7年である。キリスト教会は、ここに登場する「彼」が油注がれた者のことで、イエスが7年間で多くの者と同盟を固め、そのうちの3年半でいけにえと 献げ物を廃止したのだと解釈する。しかし、だとしたら、どうしてその後に「憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が 荒廃の上に注がれる。」という言葉が続くのであろうか。また、主イエスは決して多くの者と同盟を結んだとは言えないし、 同盟という言い方もおかしい。「彼」がイエスなら、同盟ではなく「契約」とすべきである(神は聖書の中で「同盟」を忌み嫌っておられる)。
 この「彼」は明らかに、「次に来る指導者」を指しており、その次に来る指導者が都と聖所を荒らしたのであり、だからこそ、その終わりには洪水があり、終わりまで戦いが続き、荒廃は避けられないのであり、この「彼」こそが1週の間、多くの者と同盟を固め、半週でいけにえと献げ物を廃止したのであり、「彼」こそが「憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすもの」であり、「彼」が座すことによって、ついに定められた破滅が 荒廃の上に注がれるのである。

 では、イエスの十字架後に登場した「次に来る指導者」とは誰か。「次に来る指導者の民」とはいかなる集団なのか。彼らが神の都と聖所を荒らす張本人である。 彼らによって、その終わりには洪水があり、終わりまで戦いが続き、荒廃は避けられない。そして「彼」は多くの者と同盟を固め、 いけにえと献げ物を廃止した者である。そして、憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。これを解明する重要なヒントが、ダニエル書の最後に記されている。

「終わりの時までこれらの事は秘められ、封じられている。多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者はなお逆らう。逆らう者はだれも悟らないが、目覚めた人々は悟る。日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、1290日が定められている。待ち望んで1335日に至る者は、まことに幸いである。」(ダニエル12章)

 先の幻の解釈、つまり「 『この幻、すなわち、日ごとの供え物が廃され、罪が荒廃をもたらし、聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は、いつまで続くのか。』彼は続けた。『日が暮れ、夜の明けること2300回に及んで、聖所はあるべき状態に戻る。』」との幻の解釈では、聖所はまずギリシャから4つの国に分裂した国の1つによって日ごとの供え物が廃され、罪が荒廃をもたらし、聖所と万軍とが踏みにじられた。そして、その後に主イエスが登場した。聖所は、主イエスの十字架後に登場する「次に来る指導者」=いけにえと献げ物を廃止した者の民によって再び荒らされるのである。

 主イエスの十字架後に登場した「次に来る指導者」とその民は、いけにえと献げ物を廃止した。主イエスと12使徒は、イエス生前から、主イエスの教えである「律法と預言者の教え」を守り、エルサレム神殿を「父の家」と呼んで参詣していた。イエス十字架後も、12使徒は主イエスの教えである「律法と預言者」に忠実であり、エルサレム神殿にも参詣しているので、彼らは日ごとの供え物を廃した者ではない。
 12使徒ではないパウロは、そうではなかった。パウロは12使徒との交わりを避け続け、律法と預言者を捨て、日ごとの供え物を廃し、異教ローマの習慣に迎合して、パウロの思想を広めた。ヨハネ黙示録に記されている主イエスの7つの教会には含まれていないローマ教会は、パウロの教えを採択し、やがてローマ帝国の国教になり、ローマ教皇は遂にはローマ帝国の支配者になった。そしてローマ帝国キリスト教会は、自らを「カトリック」と名乗り、主イエスの7つの教会を異端として迫害し、壊滅させた。
 神の像を刻んでそれを礼拝することは偶像崇拝としてユダヤ教でもキリスト教でも伝統的に禁じられてきたが、教会の建設等と共にイエスやマリアの像だと称する偶像を掲げ、それを礼拝するようになった。彼らはエルサレムにも教会を設け、偶像を建てた。それに対してユダヤ教徒やイスラム教徒から偶像崇拝だという批難が起こり、イスラム教徒はイスラエルとヨーロッパに侵入する。そしてイスラム教徒は、708年にエルサレム神殿に「岩のドーム」を完成させたのである。
 教会内部でも偶像の是非をめぐって論争が起こった。シリア出身の東ローマ皇帝レオ3世は、726年に聖像禁止令を発布し、勅令によりすべての聖像の破棄を命じたが、ダマスコのヨアンネスは「キリストは神であると共に人でもあるのだから、人となった神キリストの人間を描くことなら可能である」とし、コンスタンティノポリスの総主教ゲルマノス1世も、教皇グレゴリウス3世も、聖像禁止令に反対した。787年、東ローマ皇帝レオ4世の皇太后イレーネによって招集された第2ニカイア総会議で、聖像の崇拝と礼拝を区別し、崇拝の対象としては聖像を認め、聖像に燈明を献じ、香を焚くことが容認された。これは東西両教会が認めた全教会会議の最後の総会議であった。聖餐(せいさん)式で聖別されたパンとぶどう酒がキリストの身体と血になるという「化体説」が出たのも、この頃である

 先の預言の解釈と合致させると、油注がれた者が不当に断たれ(主イエスの十字架後)、都と聖所が次に来る指導者の民によって荒らされ、「彼」が1週の間、多くの者と同盟を固め、半週でいけにえと献げ物を廃止してから、1290日が定められていることになる。待ち望んで1335日に至る者は、まことに幸いであるという。1290日が1290年だとしたら、いえにえと献げ物を者が、その後に時と法を変えようとたくらんで、聖者らが彼の手に「1時期、2時期、半時期」(1280年程度)渡されることとも合致する。

 新約聖書にはこう書かれている。

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である。」(マルコ13・32)と。
 
この主イエスの言葉を、キリスト教徒は、主イエスがこう言われているのだから「終わりの日」がいつなのかは誰も分からないし、それを論じることは主イエスに倣うことではないと解釈している。
 キリスト教徒には、主イエスの言葉が正確に見えていないようである。主イエスが言われたのは、「その日、その時は、だれも知らない。」である。「その年、その月」ではない。主イエスの言葉は、一字一画たりとも不正確なところはない。さらにキリスト教徒には、見えていないことがある。主イエスが地上に産まれる、その日、その時は、誰も知らなかった。天使たちも知らなかった。父だけがご存じであった。父なる神は、それを隠す必要があった。なぜならば、主イエスが来られるその日、その時をサタンや地上の権力者たちに知られてしまったら、救世主を殺してしまおうとするからである。実際、ヘロデ王は、多くの知識人たちを問い詰めて、その年、その月を割り出し、産まれ来る赤子らを片っ端から殺した。
 しかし、「その日、その時」が近づくと、天使たちもそれを知ってザカリヤ、マリア、ヨセフ等の主だった人たちに、それを伝えた。旧約時代の預言者たちにより、主イエスが来られるその年、その月は、多くの人が予見していた。そして、目を覚ましていて「その日、その時」を知ろうとした。主イエスが言われたのも同様である。主イエスはその言葉の後に、こう続けている。


 「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(マルコ13:33〜37)

 
主イエスが言われた「その日、その時」とは、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを、人々が見る時」のことである。それは世の終わりの苦難の後のことであって、世の終わりの苦難の時は、それよりも前に来るのである。
 ヨハネ黙示録には、年を経た蛇、竜とかサタンとか呼ばれる「全人類を惑わす者」が、自分に残されたときが少ないのを知って地と海に降ることが記されている。「終わりのとき」には、彼は自分の権威を「獣」に与え、全人類を支配するために様々なことを行う。獣は偽預言者と共に現れるが、主イエスは偽預言者は「広い門」の中にいて、その門は滅びに通じる門で、その道も広々としていて、そこから入る者が多いと言われた(マタイ7・1〜23)。広い門の中にいる偽預言者たちは、羊の皮を身にまとって、ブドウに見せかけた房のある花や、イチジクに見せかけた偽物の実で人々を引きつけ、「主よ、主よ」と言って祈り、イエス・キリストの名によって預言し、イエス・キリストの名によって悪霊を追い出し、イエス・キリストの名によってあらゆる奇跡を行う。しかし、主イエスはきっぱりと、彼らのことは全然知らない、と言う。そればかりか、彼らのことを「不法を働く者ども、わたしから離れ去れ」と言っている。
 彼らの手に渡されている聖者たちは、彼らの手の中にいながら目覚めることは難しい。しかし彼らの手から離れ、目覚めて、この獣と竜と偽預言者たちがすることを見ていれば、彼らが「終わりのとき」に向けて用意していることが見え、「終わりのとき」が近いことが分かる。しかし、目覚めようとしない者たちには、何も分からない。
 主イエスは「その日、その時は、だれも知らない。」と言われている。「その年」「その月」はだれも知らないとは言われていない。「その時」という言葉が年や月のことも含んでいる、という意見があるかも知れない。しかし、だとしたら「その日」と言われる必要がない。「その時は、誰も知らない。」と言われたはずである。主イエスが言われている言葉は、一字一句、意味のない言葉はない。主イエスが目覚めていよ、と注意を促されたのも、耳を開いてよく聞き、目を開いてよく見よ、ということである。

「イエスがひとりになられたとき、12人と、イエスの周りにいた人たちとが、たとえについて尋ねた。そこで、イエスは言われた。『あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。それは、“彼らが見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、理解できず、こうして、立ち帰って赦されることがない”ようになるためである』」(マルコ4・10〜12)

 パウロと彼に従う人々には、神の国の秘密が理解できなかった。理解できなかったパウロは、独自の見解から間違った教義を作りだした。さらには自らを「異教徒の使徒」と称して、それを異教徒に広めるために異教の風習に迎合し、権力者たちに迎合し、「広き門」を作った。いまやパウロの教会は全世界に拡がり、国々とそこに住む人たちを支配している。

 主イエスは言われた。

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない。」(マタイ7・13〜14)